日産 GT-R NISMO・GT-R 2014年モデル 試乗レポート/河口まなぶ(1/3)
- 筆者: 河口 まなぶ
- カメラマン:島村栄二
カリスマ開発責任者によるワンマン体制だからこその強い個性
これまでのGT-Rは良くも悪くも、水野さんの“ワンマン体制ならでは”のプロダクトだった。
もちろんこれは僕の、水野さんに対するリスペクト。ある意味独善的でなければ、世に衝撃を与えるスポーツカーは生み出せない。常人が耳にした時に思わず、「えっ?」と聞き直してしまうような壮大な計画や発想を、パワープレイで前へと押し進めてしまう…そんなスタイルは、日本の社会には馴染まないかもしれない。でも、それだからこそ手に入れたものは多々あると思うのだ、日産、そしてGT-Rは。
そして現実日産 GT-Rは、皮肉にも「スカイライン」の名と決別したこのモデルで、今まで以上に世界中に知られることになった。それはこのクルマが圧倒的な高性能を実現していたからであり、そこから付随する圧倒的な存在感を手に入れたからである。
つまるところGT-Rは、水野さんの思想と哲学から生まれたことは間違いない。
僕はそれがこの、R35型GT-Rの意義だと今でも思っている。
開発体制も大きく変化を遂げる
そして今回、GT-Rは激変したのだ。
体制はいわゆる日産の他のモデルと同様になった。CPS(チーフプロダクトスペシャリスト)とCVE(チーフヴィークルエンジニア)という、判り易くいえば企画する側と設計側の2人のチーフ制となった(水野氏時代は1人でこれと同じような役割をしていた)。そしてCPSにはかつてR34スカイライン GT-Rを手掛けた田村宏志氏が就任した。
また大きなトピックとして、これまでGT-Rの開発には加わっていなかった日産の実験部でトップガンであり、R32~34スカイライン GT-Rの評価ドライバーを務めたことで、国から「現代の名工」として表彰された加藤博義氏が、ついにR35 GT-Rのステアリングを握ったこと。
果たして日産 GT-Rはどう変わったのか?
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