マツダ 工場見学レポート!マツダの真の実力が見えた【マツダ体験会レポートNo.3】
- 筆者: オートックワン 編集部
◆マツダブランドの歴史
最近では“魂動”をデザインテーマに、日本の美意識を基にした独自の世界観を持ったクルマを世に送り出している、広島生まれ広島育ちの日本車ブランド、マツダ。
その歴史は深く、2020年には記念すべき100周年を迎える。
マツダの前身は1920年に創業した“東洋コルク工業株式会社”。自動車製造を行ったのは、1931年の3輪トラックが初めてで、第二次世界大戦後の復興を支えるなど、広島の経済に貢献してきた。
初めての量産型4輪乗用車は、1960年のR360クーペ。当時一世を風靡していたスバル360に対抗するために作られたこの乗用車は、手ごろな値段で買えるだけでなく、環境に配慮したエンジン構造の選択や、ユーザーに配慮したオートマチックトランスミッションの採用など、「安心・安全に運転できるクルマ」という現代のマツダのクルマ造りにつながる思想を読み取ることができる。
その後、高度経済成長による自動車のパワー競争や、貿易の自由化によって流入してくる高性能な海外製品と戦わねばならないなど、時代の変化に揉まれ続け、ロータリーエンジン量産化の成功に象徴されるような独自路線を、今日まで貫いてきた。
◆マツダが目指すクルマ造りとは/工場見学レポート
マツダの工場見学で驚いたことは、ブランドテーマである“魂動”と“人馬一体”が、生産ラインをはじめとする現場レベルで浸透していることだ。
企業理念の理解と浸透を従業員に求める企業は多いが、それがマネジメントだけでなく現場レベルで共感し、日々の業務に反映されている成功事例は多くない。成功例としては、世界的なラグジュアリーホテルブランド、リッツカールトンの“クレド”や“モットー”が有名な事例として挙げられる。
それと同じ現象が、より多くの人が関わる自動車産業で、マツダで実現していると言ったら驚くだろうか?私はごく素直に納得することができた。
工場見学では、どの方にお話しを伺っても「お客様のために」という言葉がごく自然に使われ、“魂動デザイン”や“人馬一体”という概念までが一人ひとりに深く浸透していた。その言葉からは強い責任感とプライドが感じられた。
特に印象的だったのは、ボディの金型を作る工程。デザイン主導で行われるマツダのクルマが美しいのは、デザイナーが優れているだけでは実現できない。そのデザインを金型に起こし、量産化する工程に携わる人々も「自分たちも“魂動デザイン”を実現するデザイナーの一人なのだ」という意識をもっているからこそ、人を感動させるモノ造りができるのだと実感した。
また、各ラインでは「カラクリ」と呼ばれる仕組みがいくつも導入され、業務の効率化が図られていた。「カラクリ」とは、従業員自らが発案・作成・実装した、作業の効率化を図る仕組みや器具のことだ。プログラミングなど生産ラインには直接関係のない分野でも自発的に学んで作ったというから驚きだ。これにより、業務を効率化するだけでなく、「マツダのお客様のためにいい仕事をしよう」という気概と高いモチベーションが維持されていた。
工場というと本社から離れた場所に位置することが多いものの、マツダは本社と生産ラインが同じ敷地内に所在する。現場とマネジメントの密接な距離感こそが一貫した連携と価値観を生み、理想を実現する原動力になっているのではないだろうか。他意はないが、素直に「マツダで働いてみたい」と思わせる企業風土だった。
ラインには、CX-9やアバルト124スパイダーなど海外向けモデルも一緒に流れていたが、彼らのような従業員が生産している車なら、日本人以外にもマツダの魂はきっと伝わるだろう。
~おわりに~
以上、3本に分けてお送りしたマツダ体験レポートだが、少しでもマツダという企業のおもしろさを伝えることができたなら幸いだ。
昨今様々な事情で、クルマを趣味とする人が80年代や90年代に比べて減ってきているのは確かだが、これだけひたむきに、純粋にモノづくりに取り組む企業がある限り、どんどん日本車の魅力は高まっていくだろう。
ならば、クルマならではの楽しさや価値観を多くの人と共有できるように、メディアの一員として感じ、学び、発信していきたいと思う。
この記事にコメントする