VW ティグアンTDI 4モーションで北海道へ |“歴史を感じる鉄道体験”の旅【後編】〜夕張支線や保存車両にオヂサン大騒ぎ〜(2/4)
- 筆者: 遠藤 イヅル
- カメラマン:小林 岳夫・オートックワン編集部
鉄道の栄枯盛衰に炭鉱で栄えた街・夕張の過去を偲ぶ
お腹を空かせた3人は「北海道といえば」のコンビニ、セイコーマートで朝食を買い次の目的地に向かいます。そこに行く道沿いには今さっき乗った夕張支線が並走しますので、キハ40の車内から眺めて気になった清水沢駅に立ち寄ってみることにしました。
夕張支線には沼ノ沢、南清水沢、清水沢、鹿ノ谷駅がありますが、南清水沢駅以外すべてから炭鉱から石炭を運ぶ鉄道が出ていました。どれほど炭鉱が栄えたのかがわかります。清水沢駅からは三菱石炭鉱業・大夕張鉄道線が接続しており、貨物列車用に何本かの側線を備えていました。現在は側線も撤去され駅も無人となっているものの、大きめの駅舎と広い構内に石炭輸送が活発だった時代の面影を残しています。
圧巻! 三菱石炭鉱業・大夕張鉄道線で活躍した車両たちが往時のまま保存される南大夕張駅跡
事前に予定していた次の目的地は、その三菱石炭鉱業・大夕張鉄道線で活躍した車両たちが保存されている南大夕張駅跡です。ここには当時のホーム、ホーム上屋とともに6両が「三菱大夕張鉄道保存会」によって現役当時の姿のまま置かれています。1999年に発足した同会では、定期的な車両修繕作業のほか炭鉱が栄えていた頃の遺産でもある保存車両を通じた地域振興など様々な活動を行っています。保存地に着いた頃には雨足が強くなってしまいましたが、雪カキ車(キ1形)+客車3両(スハニ6、オハ1、ナハフ1)、石炭車2両(セキ1、セキ1000)は雨の中でもツヤツヤでした。活動されている保存会の方々の努力に頭が下がります。
1987(昭和62)年の大夕張鉄道線廃止まで主力として活躍していた客車3両はそれぞれ1913(大正2)年、1906(明治44)年、1937(昭和12)年と歴史あるもの。外観こそ鋼体化がされていますがスハニ6は3軸ボギー台車を履き、スハニ6、オハ1の床下に見られるトラスバーは出自が古いことを物語ります。石炭車のセキ1も明治生まれです。これらの車両は北海道の歴史を語るものとして北海道遺産に指定されただけでなく、経済産業省から近代化産業遺産の認定も受けているとのことです。
清水沢駅の広い構内、そしてそこから走っていた車両たちは、かつて夕張界隈が炭鉱で大いに賑わっていたこと、炭鉱の発展に鉄道が重要な役割を果たしていたことを静かに教えてくれているかのようでした。
>>北海道の鉄道が辿ってきた歴史が詰まる「三笠鉄道記念館」[次ページ]
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