ボルボ、トヨタ博物館で世界初の3点式シートベルト装着車「PV544」の寄贈式典を実施

  • 筆者: 遠藤 イヅル
  • カメラマン:遠藤 イヅル/ボルボ・カー・ジャパン

「PV544」は世界で100万人以上を救ったエポックメイキングカー

ボルボ・カー・ジャパンは、世界で初めて3点式シートベルトを標準装備したエポックメイキングで歴史的な一台である「ボルボ PV544」を、愛知県長久手市の「トヨタ博物館」に寄贈することとなり、その寄贈式典が2017年12月15日(水)にトヨタ博物館本館メインエントランスにて行われた。

ボルボPV544は、ボルボとして初めて本格的に量産された乗用車「PV444」の発展型といえるモデルで、1959年から1965年まで製造された。戦前のボルボは6気筒エンジン搭載車をメインとしたメーカーだったが、戦後は戦争直後の混乱する時代を見据えて小型車へとシフト。1947年に1.4リッター直4エンジンを搭載した「PV444」を発売した。PVとは「Person Vagn」(乗用車)を意味していた。

1940年代登場らしいスタイリングを持つもののメカニズム的には進んでおり、当時では先端設計だったモノコックボディ、前輪独立サスペンションなどを採用していたことは特筆に値する。ラミネート加工されたフロントウインドウも先進装備だった。1958年までの間にエンジンを1.6リッターに拡大、ツインキャブエンジンも用意されるなどバリエーション展開も行われ、価格がリーズナブルなことも手伝ってヒット作となり19万6005台が生産された。

1959年に登場したPV544はまさにこのPV444の熟成・発展版で、フロントウインドウは1枚の曲面ガラスとなり視界が改善され、乗車定員も4名から5名に増加。リアサスペンションもコイルスプリングに進化した。ボルボのエンジニア、ニルス・ボーリンによって開発された世界初の3点式シートベルトの採用、ダッシュボードにも事故時に乗員のケガを軽減させるクラッシュパッドが貼られるなど安全にも一層気が配られた。現在にも連綿と続くボルボの安全への取り組みを象徴するモデルでもある。また、小型で軽量な素性を活かしてラリーを中心にモータースポーツでも大活躍した。PV544は1962年にエンジンを1.8リッターに変更するなど改良を重ねながら、1965年まで24万3990台が生産された。

特筆すべき点として、ボルボはこのPV544に装備した3点式シートベルトの特許を無償公開したことがあげられ、以来このシートベルトは世界で100万人以上の命を救ったとされている。

>>世界で初めて開発された3点式シートベルト、そのディテールに迫る![画像ギャラリー]

トヨタ博物館初のボルボ収蔵とその経緯

寄贈式典の開始にあたりまず登壇したのは、ボルボ・カー・ジャパン株式会社 代表取締役社長 木村隆之氏。自身、ヘリテイジボルボの「P1800」を所有する。

「昨年10月、ヘリテイジボルボのオーナーズクラブ『アマゾンクラブ』のツーリングに私も参加いたしました。その際にトヨタ博物館に伺いまして、直接館長から館内をご案内いただく機会に恵まれました。私と館長とはトヨタモーターヨーロッパ時代ベルギーのブリュッセルで一緒に4年働いた仲でございまして、いろいろ話をさせていただいているうちに、このミュージアムにボルボのクルマが一台もないということをお聞きしました。安全をテーマにクルマを開発して来た歴史・由緒あるメーカーのクルマが一台もトヨタ博物館に無いのは寂しい、ということになり、何か1台寄贈させていただきたい、ということになりました」

と、ボルボがトヨタ博物館にクルマを寄贈するに至った経緯を説明。そしてPV544が選ばれた理由を続けて紹介した。

「寄贈するクルマは100万人以上を救ったと言われる3点式シートベルトを世界で最初に装備した『1959年式 PV544』が良いだろう、ということで今日に至りました。なかなかレアなクルマで、これほどのコンディションのクルマは世界中から探すのは大変でした。そこでスウェーデン本国のボルボミュージアムからこのクルマを譲り受けることになりました」

こうして日本につい先日やってきたPV544は、本国のボルボミュージアムでは来場者向けに使用されていたとのことで、もちろん実動、走行可能だ。まさしくミュージアムに収蔵するにふさわしいコンディションを保っていた。

ボルボが考える「歴史の重み」とは

続いてスウェーデン本国からボルボ・カー・ヘリテイジを代表してベルオケ・フローバーグ氏がPV544についての説明を行った。

「今回こちらに参ります前に、ボルボの日本における歴史について調査いたしました。そこでわかったのは、最初にボルボが輸入されたのは1951年に遡るということでした。その際20台のPV444(PV544の前のモデル)が輸入された記録があり、日本語のカタログも保管されていました。2017年はボルボにとって特別な年でした。ボルボ創業90周年であり、XC60の日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞、そして今日のセレモニーです。このボルボPV544は1959年式です。1959年という年式はボルボにとって非常に特別です。自動車業界でもっとも重要な安全装備、『3点式シートベルト』が発明されたのです。これを、PV544は世界で初めて標準装備としたのです。以来、3点式シートベルトは世界中で多くの命を救ってきました。今ではクルマでは欠かせない当たり前の装備となりました。安全に関わるエンジニアに、クルマの安全装備の中でひとつだけしか付けることができないとしたら、誰もが『3点式シートベルト』と答えるでしょう。このPV544がボルボを代表して展示されることは格別な思いです」

フローバーグ氏はそのまま、「歴史が自動車メーカーにとってなぜ重要なのでしょうか」と問いかけ、ボルボの「ヘリテイジ」への考え方を述べた。

「ノスタルジーに浸って過去を懐かしく思うのは決して悪いことではありません。しかし自動車メーカーとしてのボルボは過去を懐かしんでいる余裕はありません。常に前を見て新しい技術、そして新型車のことを考えていかなければならないのです。ではヘリテイジ<遺産>がノスタルジーで無いならば、何を意味するのでしょう。それは、オーセンティック<本物>であるということ。本物だけが持つ価値です。信頼性、確実性が強いブランドには欠かせないのです。今、私たちはお客様により多くの対価をお支払いいただいています。お客様もただ単なるモノを買う以上の価値を求めていらっしゃいます。なぜボルボがそれをしているのか、私たちが過去に行ったことが今何に結びついているかにも関心をお持ちです。それがまさに私たちが持たねばならない歴史の重みだと考えます。ほとんどのモノはマネ、コピーで作ることが出来ますが、歴史はコピーできません」

フローバーグ氏のいうように、自動車メーカーが歴史と伝統を大切にすることはとても重要であるという考え方は大いに賛同出来た。現在発売されているモデルも、過去の様々なクルマがあって今に至っているのだ。

クルマの展示にはストーリーが必要

最後にスピーチを行ったトヨタ博物館 館長 布垣直昭氏は、ボルボが3点式シートベルトの特許を開示したことの偉大さを語った。

「今日ご寄贈いただいたPV544は、本当に大きな意味があり、重いものだと考えています。私たちの博物館はクルマを展示していますが、決してモノだけを展示しているわけではなく、幾多の情熱を傾けた人々や愛情、誇りを展示する気持ちでいます。3点式シートベルトは技術的には安全を祈って開発されたのですが、素晴らしいのはいち早く特許を公共のために公開したという志(こころざし)です。これに経緯を表します。私たちトヨタ自動車もクルマを開発する会社ですが、コンペティティブな環境の中ではなかなかそうした決定は難しいことだと思います。人々の命を救うことに垣根があってはならないということでこの決断を、しかも1959年という早い段階でされていたところにボルボの会社の志を感じました」

トヨタ博物館は2017年に本館3階展示内容のリニューアルを実施。本館常設展示は19世紀末の自動車誕生から現代までの発展を一望できる「モノ語る博物館」として、自動車文化の発信に務めている。今回寄贈されたボルボPV544は、その展示の中の「自動車の困難な時代」を表現したエリアで「安全性」をテーマに常設展示される。

「私たちは博物館で何をこれから展示していくか考えた時に、クルマの背景にあるストーリーや文化をもっと伝えなければならない、と感じています。今回いただいたクルマは安全のヒストリーを語る上で欠かせない“ワンピース”です。それを埋めていただいたと思っています。単にクルマを飾るということではなく、背景やエンジニアの志や誇りを伝えていきたいです」

また、布垣館長はPV544が寄贈されたことに関して、

「いまやクルマ業界は100年に一度の大変身期と言われています。とかく変革期というと技術的な変革に目がいきがちですが、私たちはそういう時期だからこそむしろ変わらない部分に大切なものがある、ということに目を向けていきたいです。私たちが博物館をしていて良かったと思うのは、普段は『競争の仲』であるボルボさんが博物館の主旨に賛同いただいて、国やメーカーの垣根を越えて協力しようと言っていただいたことが嬉しいのです。単にクルマを一台寄贈しただいた以上の意味を感じています」

と寄贈された意義とボルボへの感謝の意を述べた。

現役のPV544が式典に合わせて3台来場!

この日はPV544の寄贈に合わせ、東京・神奈川から3台のPV544が自走(!)でトヨタ博物館に来場した。美しく磨かれたPV544は、いずれも博物館に収蔵されたクルマ並みのコンディション。それぞれ年式が異なるため、各種のディティールの差異も興味深いところだ。

紺色の個体は「神(神奈川。神戸ではない)5」のシングルナンバーを維持するたいへん貴重な個体で、収蔵されるPV544と同じく1959年式。当時PV544は日本に正規輸入されていなかったため、アメリカから持ち込まれた個体だという。シングルキャブレターの1.6リッター「B16型」エンジンを搭載する。電装系が6ボルトなのも時代を感じさせるポイントだ。ボッシュ製のフォグランプも雰囲気を盛り上げる。

クリーム色のPV544は1964年式。英国から日本に輸入された。1962年からエンジンが1.8リッターに拡大されているため、エンジンも「B18型」に換装されている。テールエンドに輝く「B18」のエンブレムが誇らしげだ。ウインカーレンズもアンバー(橙)色になっており、新しい年式であることを証明する。電装も12ボルトに進化しているのが大きくなったバッテリーからわかる。

赤いモデルは1962年式で、リアには「Sport」の文字が光る。同じく1.8リッターエンジンだがSUツインキャブが奢られた「B18D型」となっている。バンパーのオーバーライダー(ダブルバンパー)は本来アメリカ向けの装備だ。オーナーの好みではレンズカットがほとんど無い美しいフランスのマルシャル製フォグランプを装着していた。

どの個体もボディは見るからに頑丈そう。実際ドアの開け閉めをさせていただいたが、しっかり閉まる感覚は製造後50年以上経ったとは思えない「本来の作りの良さ」を感じさせた。オーナー曰くハンドリングは軽快で乗っていて楽しく、部品の確保も特に問題が無くパーツ代もリーズナブルなので維持費もかからないという。現在日本には10台ほどのPV544が存在するとのこと。

前述のようにボルボは1950~1960年代にすでに「安全」を設計に盛り込まれんでいた。これは驚くべき先進性だ。ボルボPV544から同社の「安全に対する哲学」が現在もしっかりと受け継がれていることを感じさせた。

[レポート:遠藤イヅル/Photo:遠藤 イヅル/ボルボ・カー・ジャパン]

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遠藤 イヅル
筆者遠藤 イヅル

1971年生まれ。カーデザイン専門学校を卒業後、メーカー系レース部門にデザイナーとして在籍。その後会社員デザイナーとして働き、イラストレーター/ライターへ。とくに、本国では売れたのに日本ではほとんど見ることの出来ない実用車に興奮する。20年で所有した17台のうち、フランス車は11台。おふらんすかぶれ。おまけにディープな鉄ちゃん。記事一覧を見る

樺田 卓也 (MOTA編集長)
監修者樺田 卓也 (MOTA編集長)

自動車業界歴25年。自動車に関わるリテール営業からサービス・商品企画などに長らく従事。昨今の自動車販売業界に精通し、売れ筋の車について豊富な知識を持つ。車を買う人・車を売る人、双方の視点を柔軟に持つ強力なブレイン。ユーザーにとって価値があるコンテンツ・サービスを提供することをモットーとしている。

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