280ps自主規制のきっかけはこのクルマだった!? メガヒットした32型フェアレディZを写真で振り返る!【MOTA写真館】
- 筆者: MOTA編集部
- カメラマン:MOTA編集部
日本がバブルで浮かれていた1989年にデビューした4代目日産 フェアレディZは、スペックや車内もかなり豪華な仕上がりであった。今回は懐かしのフェアレディZを懐かしの画像とともに振り返る。
ワイド&ローなボディで、歴代モデル初の全車3ナンバーに
バブル期のイケイケムードの影響もあり、これまでのロングノーズショートデッキのスポーツカーのお手本とも言えるスタイルから、現代のスポーツカーのスタイルと同じワイド&ローでショートノーズボディへと進化。加えて、歴代モデル初の全車3ナンバーボディに大型化された。
輸出仕様の方がスペックがよかった!?
3リッターV6ツインターボは、長らく日本のスポーツカーファンの悩みの種でもあった280ps自主規制の取り決めが生まれるキッカケになったのは有名な話。行政の指導により国内使用は280psに、輸出仕様は300psとされた。
それに加え、230psを発揮する3リッターエンジンのNAモデルも。
さすがはバブル! お金のかけ具合はハンパない
専用設計のシャーシに4輪マルチリンクサスペンション、スーパーハイキャスと当時の日産の最新技術をフル採用していた。
ボディタイプはこれまで通り、2シーターと2by2モデルを用意していた。だが歴代モデルとことなるのは、それぞれホイールベースが異なること。と現代では考えられないほどのお金をかけていたのだ。
ちなみに、1992年にはフルオープンモデル「コンバーチブル」も追加された。
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