スバルは「事故ゼロを目指して60周年」をテーマにヘリテージカーと最新モデルを展示!【オートモビルカウンシル 2017】(2/2)
- 筆者: 遠藤 イヅル
- カメラマン:小林岳夫
スバルの原点となる2車種と、現行モデル2車種を展示
スバルブースで目を引いたのは、正面を飾っていたスバル360とスバル1000の2台だった。スバル360はごく初期の1958年式「K111型」で、質素なクルマとして知られるスバル360でも、初期型はより一層簡潔なつくりだったことが印象に残る。また、スバル360は機械遺産78号に認定されており、説明パネルにはその旨も記載されていた。
戦後の日本は混乱期を乗り越え復興を果たしつつあっても、まだまだマイカーを持てる時代ではなかった。そのような時代の中、1954年に施行された道路交通取締法の改正で軽自動車が全長3m×全幅1.3m以内、エンジンは360cc以内と規格が決められたこと、1955年になって通産省が「エンジン350cc以上、最高速100km/hが出せ、大人4人が乗れて、車重は500kgまで。価格は25万円以下」という「国民車構想」を発表したこと、軽自動車市場にはさしたるライバルもなく参入がし易かったことも手伝い、スバルは軽自動車の開発に着手。そして1958年にスバル360の発売に至ったのだった。
簡潔ながら必要充分という機能的な設計のスバル360には、航空機メーカーらしい設計が随所に現れていて、性能もそれまでの軽自動車を圧倒した。その総合的な仕上がりの高さは、戦後雨後の筍のように乱立していた技術力が未熟な小さいメーカーの軽自動車(テルヤン、オートサンダル、ニッケイタロー、フライングフェザーなど)の存在意義を一気に失わせるほどだった。スバル360は大卒の初任給が1万3000円程度、かけそば1杯25円の時代に42.5万円で発売された。決して安価とは言えなかったが、日本に夢だったマイカーを持てるという「マイカー時代」の到来を実現し、日本の軽自動車の姿を決定した、まさに傑作と呼べる一台である。
スバル1000も同社の歴史において重要な意味を持つクルマだ。1965年秋の東京モーターショーで発表されたスバル1000は、後輪駆動(FR)全盛の時代に前輪駆動(FF)を採用。エンジンは日本初の水冷水平対抗4気筒とし、長いホイールベースとプロペラシャフトを収めるハウジングがないフラットな床がもたらす広い室内などの独創的な設計は、当時の1リッタークラスの小型車の概念を大きく変える意欲的な内容を持っていた。
そしてスバル1000のメカニズムは後継のレオーネに受け継がれ、さらにレオーネは1972年になってバンに、続いて1975年には4輪駆動車をラインナップして、今に続くスバルの水平対抗エンジン+AWDというレイアウトを確立。それまで4輪駆動車はジープに代表されるRV型という固定観念を打ち崩し、乗用車型4輪駆動車というカテゴリーを生み出したのだった。
その基本設計は今なおスバルの「レガシィ」「レヴォーグ」「インプレッサ」「WRX」などに受け継がれており、今回のスバルブースではヘリテージを受け継いだ最新モデル「新型レヴォーグ STI SPORT」と「新型WRX S4 2.0GT-S」の2台も展示されていた。
水平対抗エンジンは過去数多くのメーカーが製造していたが、今やスバルとポルシェなどごく限られたメーカーが採用するのみになった。スバルのクルマにはクルマ造りへのこだわりと、良い意味での「頑固さ」「意地」がある。時代に合わせて性能や姿を変えつつも、ここまで徹底して姿勢と哲学を変えない国産自動車メーカーも少ないだろう。
スバルは中島飛行機から受け継いだDNAという偉大なヘリテージを持ち、そしてそれを現在もしっかりと受け継いでいるのを感じずにはいられない。スバルのオートモビルカウンシルの展示は、「CLASSIC MEETS MODERN」というイベントテーマに共鳴した内容だったと思う。
「自動車事故ゼロ」を目指すスバルの取り組みに要注目!
スバルは「自動車事故ゼロ」を目指し、“もっとぶつからないクルマ”を目指した最新機能「アイサイト・ツーリングアシスト」も発表を行っている。そのためにスバルは徹底的な走り込みを行って、ギクシャクした挙動の無い人の運転感覚に近づけているという。
そして、この機能を活かして心から運転を愉しめるとスバルは考えている。つまり、「安全と愉しさ」の「愉しさ」も、安全から導きだされることを示している。スバル自身も「自動車事故ゼロ」という目標はたいへん困難なもの、と語りつつ、真摯に対応していくと誓うスバルの今後の取り組みに期待したい。
[レポート:遠藤イヅル/Photo:小林岳夫]
この記事にコメントする