マツダ 商品本部 CX-5開発主査 田中英明 インタビュー(3/5)
- 筆者: 御堀 直嗣
- カメラマン:佐藤靖彦
鶏口牛後でマツダを志望
なぜ、マツダを選んだのか?
【田中英明】山口県で兼業農家をやっている田舎で育ったのですが、子どもの頃は時計を壊しては怒られていました。壊そうとしたのではなく(笑)、どうなっているのか?中を知りたくてぜんぶ分解していたのですがね。両親に恵まれたと思うのは、怒られたけれど、替わる物を与えてくれたことです。
我々の世代は、何も物がなかった戦後から高度成長へ向かっていくところで、中途半端に物があった。兼業農家だったので色々な物が家にはあって、ナイフ、手裏剣造りのような鍛冶みたいなことをしたり、自転車を改造したり、…それが遊びでした。
大学は電気通信大学で、アルバイトとクルマやバイクで明け暮れ、ほとんど勉強はしませんでしたが、それではマズイと思い一番厳しい研究室に入ったら、その先生と先輩がよかった。結局、大学院まで行って、そうなると就職は当時、売り手市場でした。
鶏口牛後という明確な思いがあったので、大企業の自動車会社は嫌だ。クルマが好きで、自分の感覚に合うブランドは何処?と考えたとき、マツダともう1社のどちらにしようか迷いました。マツダは、実家の山口に近い。それから、当時のマツダからは素晴らしいクルマが立て続けに出たのです。日本で大ヒットした初代FFファミリアと、カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した初代FFカペラ。これは凄い会社だと思い、うまくやれば本当に楽しいクルマを作れるだろう。
そして、入社以来ずっと商品企画を歩むという経歴も珍しい。
【田中英明】はじめから商品企画を志向していたので「商品企画に行けなければ辞める」と言っていました。
一時、技術研究所へ異動し、若いんだからニューコンセプトカーをやれ、と言われましたが、ニューコンセプトと言うからには量産しないのだろうと、「そんなのは嫌だ」と言っていたら、初代ミアータ(MX-5=ロードスター:筆者注)の企画があり、平井敏彦さんと、マツダのリソース(資源)は最小限で開発する前提で立ち上げました。
開発初期は、イギリスの開発派遣メンバーと一緒に開発し、限られたマツダのエンジニアと少人数で、事務所も倉庫を使っていました。
だから、それまでのマツダらしくない、それでいてマツダらしいクルマができた。 画期的な商品の開発は、人の組み合わせによるところが大きいと思っていますが、そういういい組み合わせができたのはたまたまでしかありません。
その「たまたま」が揃ったのは、自分が経験した中で、ミアータと、アテンザと、このCX-5の3つです。
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