自動車業界関係者の意識喪失、『2025年問題』で新車需要は半減以下に急落する危険性
- 筆者: 桃田 健史
2025年の意味することとは?
クルマ関連で2025年というと、自動運転が高度なレベルに達して、完全自動運転に近い状態になるなど、明るい次世代技術を思い浮かべる自動車業界関係者が多い。
ところが、日本市場では、そんな呑気なことを言っていられない“とんでもない事態”が発生するだろう。
もうじき、急激にクルマが売れなくなるのだ。
その数は現在の半減以下となる200万台レベルまで急落してしまうかもしれない。
大手コンサルタントなどの調査でも、今後10年間ほどで“一気にクルマが売れなくなる”という予測があるが、これは“いわゆる白タク”であるライドシェアリングの普及によってクルマが“所有から共有”へと転移することを想定している。その点についても、 日頃からアメリカでライドシェアリングを多用している筆者としては、十分に認識している。ただ、日本のタクシー・ハイヤー業界関係者や霞が関周辺と意見交換していると、日本で“いわゆる白タク”に対する規制緩和を進める動きが見えてこない。
一方、筆者が2025年問題として強い関心があるのは、“団塊の世代”の動向だ。
日本市場は所詮、60年代のブームを引きづっているだけ?
団塊の世代とは、第二次世界大戦後のベビーブーム(1947年か~1949年)世代の俗称。通産省(当時)官僚で元経済企画庁長官の作家・堺屋太一氏が小説の中で使った。日本の高度成長期に青年期を過ごした彼らが、70年代になると企業や行政機関で中間管理職となり、新しいビジネスセンスによって日本をリードしていくという実話に基づいた物語である。
この団塊の世代にとって、クルマは必須アイテムだった。ステイタスシンボルであり、ファッションアイテムであり、「カッコいいクルマを持っていないと、デートにいけない」という会話が常識化されていた。
そうした、彼らの若い頃の物事に対する感性が、日本の自動車市場を下支えしてきた。彼らが出世し、収入の増加に連動して、日本のクルマは高級化、高額化、さらには多様なモデル化の道を歩んできた。彼らはユーザーという立場だけでなく、自動車メーカーのエンジニアやデザイナー、そして経営陣として世の中に影響を与えてきた。そんな“クルマに対する想い”は、団塊の世代が現役を引退した現在の自動車産業界でも、ある種の“業界の常識”として受け継がれている。
つまり、日本の自動車産業とは、60年代から50年以上に渡り、団塊の世代が作り出した 長期のブームだと考えるべきだ。
そして今、そのブームが終わろうとしている。
団塊の世代、後期高齢者の時代へ
驚くべきデータがある。
大手メーカーの新車購入者の平均年齢は、ほぼ60歳。高級車に限定すると、ほぼ70歳という超高齢化が進んでいるのだ。
これぞ、団塊の世代が日本の自動車市場を支えていることの証明だ。
そうした団塊の世代が2025年になると70歳代後半になり、クルマに関していえば「そろそろ真剣に、運転免許の自主返納を考える」という時期が訪れる。
若い頃から“クルマ好き”を自負してきた人が多い団塊の世代にとって、クルマの運転を諦めることは、その他の世代からは想像できないほどの“大きな決断”だ。とはいえ、肉体的、精神的な衰えを自覚する団塊の世代は、クルマが好きだからこそ、“万が一の場合” に対する恐怖感も大きい。
こうして2025年前後に、日本の自動車市場を支えてきた団塊の世代の多くが、自動車を手放したり、免許を返納したり、さらに言えば子や孫が乗るクルマに対する興味も薄れてしまうかもしれない。子や孫が買うクルマへの資金援助も止めてしまうことで、子や孫たちが、クルマを買わなくなることも想定できる。
つまり、日本の自動車市場は、団塊の世代と共に成長し、団塊の世代と共に収縮していていく可能性が極めて高い。
ところが、こうした2025年問題を直前に控えているにも関わらず、日本の自動車メーカーや自動車流通業界で、市場が大きく変化してしまうことへの危機感を持っている人は少ないことが、大きな課題だ。
2025年まで、あと8年しかない。
[Text:桃田健史]
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