トヨタ自動車 製品企画本部 センチュリー 開発主査 清水 勉 インタビュー(5/5)
- 筆者: 御堀 直嗣
- カメラマン:佐藤靖彦
桃李言わざれども下自ずから蹊を成す
入社後のスープラ担当の頃から、時代の移り変わりによって少量生産となり、以来、少量生産車の畑を歩み続ける結果となった清水勉主査の座右の銘は、「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」である。
清水勉主査は、この7月末で定年を迎え、センチュリー主査の職を離れることになる。20年近くにおよぶセンチュリー開発は、どうであったのか?
【清水勉】チーフエンジニアとして、また主査としての面白みを味わいました。センチュリーに関わっていると、ピンからキリまで、あらゆることを勉強できます。黄金比のこと、大和比の話、和紙や木の種類など…そして、少量生産とはいえ、量産的な作りが必要なところもあり、最適な物作りを追求するための基本的な勉強がいろいろできました。
また、国内専用車という意識はありましたけれども、左ハンドル車も100台ほど作っています。豊田達郎社長時代に「世界のショーファーカーにしたい」との思いを語られ、1998年に発売しました。
日本の美意識を表す「富士」と、日本の精神を表す「刀」が意匠のテーマですが、それがどう海外では評価されるのか? たとえば、中近東では絶賛でした。中国でも評価は高かったですね。一方ヨーロッパでは、コンサバティブで、向こうのお城には合わないという声もあります。
面白いのはアメリカです。西海岸のカリフォルニアでは雰囲気に合わないということでしたが、東海岸のニューヨークへ行くと、「カッコイイ」と言われ、センチュリーを走らせていると多くの人が振り返りました。
センチュリーの開発をもう一度やりたいか?ですって、勿論!やりたいですね。今という時代の旬にあわせた、それでいて日本独創の美と精神を突き詰めた3代目で、再び海外へも発信してみたいです。
清水勉主査のたゆまぬ意欲はまったく枯れることを知らぬようだ。インタビュー中も、常に次を考える姿がそこにあった。 この機会に、トップ・オブ・トヨタのセンチュリーを間近に見、実体験できたのは貴重なことであった。
改めて、特に首都にはセンチュリーが数多く走っているのに気付かされる。そして、その一台一台が、人の手で作られたという価値を、深く実感し、またこれまでどこか他人事のような存在であったセンチュリーが、とても身近に感じられ、日本人であることを誇りに思えるのであった。 END
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