ボルボの名車が勢揃い! クルマだけでなく戦闘機も!?|ボルボ ミュージアムへ行ってみた(1/4)
- 筆者: 遠藤 イヅル
- カメラマン:遠藤 イヅル
広大なスペースに様々なボルボを展示
ボルボが本社を置くスウェーデン第二の都市、イェーテボリ。ここに、ボルボの歴史が詰まった博物館「ボルボミュージアム」があります。
ボルボミュージアムでは、ボルボの創成期から現代に至るまでのクルマたちのほか、世界的に高いシェアを持つトラックやバス、ボルボ・グループを代表する部門の産業用エンジンまで様々な展示が行われており、ボルボというメーカーや製品の歴史、魅力を知ることができるようになっています。
ボルボ・ファンはもちろんのこと、クルマや乗り物が好きな人なら誰でも楽しめるので、スウェーデンに行った際には、ぜひ訪問をお勧めしたいスポットです。
今回のレポートでは、ボルボの歴史を簡単に紹介しながら、展示車に触れてみたいと思います。それではミュージアム内へいざ出発!
ある2人の出会いからスタートしたボルボ
ボルボには2人の創設者がいます。それが、アッサール・ガブリエルソン氏(写真:右)とグスタフ・ラーソン氏(写真:左)。
ガブエルソン氏は、スウェーデンを代表するベアリング製造会社「SKF」の重役。もう一方のラーソン氏は、ガブリエルソン氏と同じSKFでエンジニアを務めていました。
一見、接点のなさそうな二人ですが、自動車に魅せられていたガブリエルソン氏の熱い働きかけに、かつて自動車設計も手がけていたラーソン氏は感激し、スウェーデン独自の自動車製造会社の起業を決めました。
さっそく1924年から自動車の開発が始まり、2年後の1926年には最初の試作車を輩出。翌年には初の量産モデル「OV4」(オープンモデル 写真:左/ヤコブの愛称で親しまれる)と「PV4」(サルーン 写真:右)を送り出しました。
「高品質とユーザーファースト」は最初から始まっていた
特筆すべきは、ボルボは最初のモデルからすでに「高品質とユーザーファースト」という考え方を持ってクルマを設計していたことでした。
時代的に乗用車の売り上げはあまり伸びませんでしたが、1928年から開始したトラックやバスの生産は好調でした。1929年には6気筒を積んだ上級モデル「PV651」の発売を開始。さらにその後「PV51」(1951年)の登場により、量産車メーカーとしての足がかりを作りました。
エントランスに入ると、創設者のガブリエルソン氏とラーソン氏の銅像、「OV4」と「PV4」、最初期のバス「LV4」、LV651(1931年)、改良版のPV654(1933年)、PV51の高級版「PV52」(1935年)など、初期の名作を見ることができます。
戦後は小型車の生産から出発
第二次世界大戦の終結が予測され、中立を貫いたスウェーデンでも自動車には経済性が必要になることが予測されました。そこでボルボは終戦直前の1945年、モノコックボディを採用した斬新な小型車「PV444」を発表。
PV51以降の大型車では、1946年に戦後初のモデルとなる「PV60」の生産を開始しました。PV60には、そのシャーシを用いたオープンモデルの「PV61」も存在します。
一方、1947年から製造を開始したPV444は、瞬く間に人気モデルとなりました。
>>安全性の高いモデルを次々と発表[次ページへ続く]
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