【高速道路】日本最初の高速道路はどこ?

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【高速道路】日本最初の高速道路はどこ?

子供の頃教科書で、「日本初の高速道路は名神高速道路」と習ったかと思いますが、都市内の小規模なものに範囲を広げると、それより前に開通していた路線があります。

厳密に見ていくと、日本最初の高速道路は、現在の首都高速道路の一部「土橋―城辺橋(現在の西銀座JCT付近)」間約1キロ。開通は1959年6月で、名神の一部開通に先立つこと4年でした。

この路線は「東京高速道路株式会社」という会社が建設した、純粋な民間路線です。

現在は首都高速道路「会社線」として、首都高ネットワークの一部に組み込まれていますが、首都高速道路株式会社(旧首都高速道路公団)とは、所有がまったく別です。

この会社は、財界人23名が発起人となって設立されたもので、銀座周辺の外堀、汐留川、京橋川を埋め立てて、日本最初の高架による無料自動車道路を建設し、その建設費と運営費をビル賃貸収益で回収するという、先進的な建設手法でした。

銀座1丁目から8丁目にかけての、高架道路を屋上とする全14棟のビルは、現在も店舗、オフィス、駐車場として利用されており、その賃貸料によって道路が維持・管理されています。

「会社線」内で乗り降りすれば、現在も無料です。銀座だからこそ成り立った経営方式だと言えるでしょう。会社線は、1964年の首都高速道路の開通にともなって首都高に接続され、以来、首都高の一部として機能しています。

MJブロンディの「ひとりごと」

この会社線は、運河を埋め立てて建設されました。

銀座に高速道路を通すなんて、今考えるとものすごいことですが、当時は「使われなくなった運河」という一種のフリースペースがあり、そこをガンガン埋め立てて有効活用したというわけです。

今になって、「東京は運河を埋め立てたことで街のうるおいがなくなった」とも言われますが、当時の日本人にとっては、そんなことより経済の方がずっと大事だったんですね。

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清水 草一
筆者清水 草一

1962年東京生まれ。慶大法卒。編集者を経てフリーライター。代表作『そのフェラーリください!!』をはじめとするお笑いフェラーリ文学のほか、『首都高はなぜ渋滞するのか!?』などの著作で交通ジャーナリストとしても活動中。雑誌連載多数。日本文芸家協会会員。記事一覧を見る

樺田 卓也 (MOTA編集長)
監修者樺田 卓也 (MOTA編集長)

自動車業界歴25年。自動車に関わるリテール営業からサービス・商品企画などに長らく従事。昨今の自動車販売業界に精通し、売れ筋の車について豊富な知識を持つ。車を買う人・車を売る人、双方の視点を柔軟に持つ強力なブレイン。ユーザーにとって価値があるコンテンツ・サービスを提供することをモットーとしている。

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