発電するエコカー!?まもなく新型ワゴンR発表!スズキ ワゴンR 歴代モデル特集(1/4)
- 筆者: 渡辺 陽一郎
- カメラマン:スズキ株式会社/オートックワン編集部
9月6日、発電するエコカー誕生だって!?と、その前に・・・
コロンブスの卵。後になって考えれば当たり前のことでも、最初に実行するのは難しい。今の軽自動車では、全高が1550mmを超える背の高い車種が売れ筋。全長と全幅の限られた小さなクルマだから、天井を高くすれば車内を広くできて、居住性や積載性を小型車並みに向上できる。背を高くするのは当然だ。
しかし90年代の前半まで、商用車を除くと背の高い軽自動車はほとんど存在しなかった。1990年にミニカトッポ、1991年にアルトハッスルが登場するが、両車ともに既存のハッチバックをベースにした発展型。ミニカトッポは地道に売れたが、大ヒットにはなっていない。
この流れを大きく変えたのが、1993年に登場した初代ワゴンR。時間の経過に従って販売台数を増やし、1996年には軽自動車の年間販売台数で首位になる。他メーカーも「この手があったか!」と追従。今では低価格のミライースとアルト以外、好調に売れる軽自動車はすべて背が高い。
ワゴンRはその後も好調に売れ続け、ムーヴに抜かれた2003年を除くと、1996年以降は一貫して軽自動車の年間販売首位を守る。フルモデルチェンジも定期的に行われ、2012年9月には5代目になる。ここではワゴンRの足跡を振り返りたい。
度肝を抜いた1640mmという全高はまさに新鮮そのものだった初代ワゴンR!
「やらまいか」という言葉がある。スズキの本拠地、浜松のある遠州地方に伝わる言葉で「やってみよう」という意味だ。長年にわたるスズキの企業活動に息付くのは、まさに「やらまいか」のチャレンジ精神。売れるか売れないか分からない、未曾有の背の高い軽自動車が生まれた背景にも「やらまいか精神」があった。
それでも多額のコストは費やせず、初代ワゴンRは他車との部品の共用化率を70%まで高めている。プラットフォームやエンジンはもちろん、ハンドルはセルボ、ヘッドレストはエスクード、リヤゲートはエブリイと幅広く共通化した。その一方でシートやインパネなど、目に触れる部分は独自に開発して新鮮味を打ち出している。
1993年、初代ワゴンRが登場すると、一躍話題のクルマになった。当時のクルマの全高は大半が1400mm以下だったが、ワゴンRはルーフレールを装着しないグレードでも1640mm。ステップワゴンやヴォクシー&ノアが登場する前だったから、初代ワゴンRの外観は実に新鮮だった。登場時点ではドアの配置も左側は前後に2枚、右側は1枚だけ。縦長に見えるヘッドランプもユニークで、割り切りの良さが受けた。
そして車内に入れば驚くほど広い。98年以前の軽自動車だから、全長は3295mm、全幅は1395mmにとどまったが、大人4名が快適に乗車できた。
特に注目すべきは使い勝手。リヤシートのバックレストを前に倒すと座面も連動して下がり、フラットで広い空間に変更できる。助手席の座面の下側には、バケツ状の大きな収納ボックスを装着した。これらの装備は、現行型でも大切なセールスポイントになっている。今日のワゴンRの礎は、初代モデルで確立されていた。
あの頃の陽一郎 ~背伸びをせずに愚直に生きればイイんだ!~
「スズキの新しい軽自動車、名前はワゴンRらしいですよ」。情けない話だが、「ワゴンR」の車名は、当時編集長を務めていた自動車雑誌の広告営業担当者から聞いた。あの頃は「R」といえばラリーやレースを連想させ、どんなクルマなのか頭の中が混乱した記憶がある。今の鈴木修会長兼社長の発案による、「軽自動車のワゴンであ~る」が由来と知るのは後になってからだ。
バブル経済が崩壊し、さらに税制の改訂を受けた3ナンバー化で、セダンの売れ行きが急降下した時代。担当雑誌の実売部数にも陰りが見えて、何となく憂鬱な毎日を過ごしていた。プライベートでは「結婚はまだか?」と尋ねられる。そんな時に初代ワゴンRを試乗して、「背伸びをせずに愚直に生きればイイんだ」と思った。当時から好きなクルマであった。
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