新車開発が変わった?フルモデルチェンジではなく、マイナーチェンジが増えた理由(1/2)
- 筆者: 桃田 健史
昔は、フルモデルチェンジがエンジニアの醍醐味だった
「今度、私がFMCを担当する」。その昔、自動車エンジニアにとって最も名誉あることは、新車の開発総責任者になりFMCをすることだった。
開発総責任者は一般的にはチーフエンジニア、トヨタでは主査、ホンダではLPL(ラージ・プロジェクト・リーダー)、そしてスバルではPGM(プロジェクト・ゼネラル・マネージャー)と呼ばれる人たちのこと。
そして、FMCとはフル・モデル・チェンジを意味する。
FMCまでのサイクルが短くなったのは、60年代後半から70年代にかけてだ。その軸足となったのが、トヨタ・マークIIだ。カローラでトヨタを知り、その後にカリーナやマークIIを経て、そしてクラウンへと続く”いつかはクラウン”という夢の階段を作った。
実際、60年代から70年代にかけて、筆者の横浜の実家では歴代マークIIを横浜トヨペットから購入していたが、購入の頻度は4年に一度のFMCではなく、2年に一度のMC(マイナーチェンジ)のタイミングだった。
FMCにしても、MCにしても、販売店からは子ども向けのオモチャなどのおまけを”餌”に、販売フェアへの集客を図った。私もまんまと、その餌に食いつかされた部類なのだが、販売フェアの店内は超満員の状態だったことを、いまでもはっきりと覚えている。また、記憶が正しければ、FMCの時のオモチャの方が、MCの時よりも、かなり高価だった。
その後、マークIIはクレスタ、チェイサーなど他のトヨタ販売系列向けの兄弟車という形での派生が始まる。
こうしたマークIIのFMCのタイミングを日産が徹底的にウォッチ。トヨタ・日産のツートップの動きをホンダ、マツダ、三菱、いすゞらが遠巻きにするという業界図式が長らく続いた。
ちなみに、筆者の実家の隣が、日産ブルバードの開発総責任者のお宅で、当時は横浜市鶴見区にあった開発拠点から、比較車として他社の様々な新車をご自宅に持ち帰り、通勤時に”乗り比べ”をしていたようだ。連日、車庫にあるクルマが変わるお隣さんを見て、当時の筆者は「羨ましい」と思った。
FMCまでの期間が長くなった理由
こうした日本車のFMCの王道が近年、大きく変わってきた。
一般的には、「モデルライフ(=FMC)は6年前後」と言われ、MCはその中間である3年毎に行うことが多い。ティア1と呼ばれる大手自動車部品メーカーにとっては、この3年毎が新規契約のチャンスであり、各社がOEM(自動車メーカー)への売り込みを強化する。
ところが、6年前後でのMCというケースも出てきた。例えば、先に商品の詳細が発表されたトヨタの新型アクアがその一例だ。デビュー以来の5年ぶりなのだから、FMCは当然と噂されていたのだが、結果的にはビックMCとなった。
通常、ビックMCは外装や内装に対して、消費者やディーラーから”こりゃダメだ”というネガティブな反応によって販売が伸び悩んだ際、”苦肉の策”として講じるものだ。そうしたビックMCは早ければ、FMCの2年以内に行われてきた。
しかし、アクアの5年ぶりのビックMCの意味は、まったく別のところにある。 アクアに限定することなく、FMCまでの期間が最近、長くなっている具体的な理由を挙げてみよう。
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