THE NEXTALK ~次の世界へ~ 横浜ゴム チーフ・マーケティング・プランナー 伊藤 邦彦 インタビュー(2/5)
- 筆者: 御堀 直嗣
- カメラマン:佐藤康彦
米国マスキー法案を受け、排ガス規制が本格化した日本で最初に行われた昭和48年(73年)排ガス規制は、ちょうど筆者が18歳のときで、その折に出た新車は、のきなみ糞詰まりの排ガス対策で出力が落ち「クルマの時代は終わった」と、落胆させたものだった。
その後、昭和51年(76年)度規制、昭和53年(78年)度規制と立て続けに排ガス規制は強化されたが、日本の自動車メーカーは着実にそれを達成していった。 そして、1979年秋には日産からセドリック/グロリアにターボエンジン車が登場する。トヨタは、1981年からトヨタはツインカムエンジン(DOHCエンジンを、トヨタではこう統一呼称した)攻勢に出る。こうして、高性能車時代がやってくるのである。
ハイドロプレーニングという言葉がある。これは雨天で路面にたまった雨水の上にタイヤがのり、それによってスリップを起こすことだ。こうなると、クルマのハンドル操作が利かなくなり、事故につながりかねない。
そこでタイヤ表面に刻まれた溝が効果を発揮する。溝の刻み方次第で、路面の水溜りをかきわけ、タイヤが路面に接地しやすくなり、スリップを予防できる。
1981年のADVANタイプDの発売は衝撃的だった。レーシングスリックタイヤは1970年以降にF1で登場し、タイヤで速さを示す象徴となった。しかし、晴雨兼用で一般公道を走るクルマのタイヤに、溝のないレース専用のスリックタイヤを使うことはできない。
そこに登場した、タイヤの外側半分にスリック的なデザインを採り入れたADVANタイプDは、斬新かつ画期的な意匠だったのである。
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