祝50周年! 歴代日産 フェアレディZの中でも特に印象的なモデル3選
- 筆者: 山本 シンヤ
1969年に初代が登場して以降、5世代に渡って進化を遂げてきた日産 フェアレディZ。50年の歴史の中で様々なモデルが登場してきたが、今回の編集部からのお題は「歴代日産 フェアレディZの中でも特に印象的だったモデル3選」である。
1:初代フェアレディZ(S30)1969~1978年
完璧なスタイルと性能でアメリカへ進出
印象的なモデルの1台目は、やはり初代(S30)だろう。このクルマが登場したことで、日産の北米躍進の足掛かりとなったと言っても過言ではない。当時、北米日産の社長だった片山 豊氏が「アメリカで日産のブランドイメージを上げるためにはスポーツカーが必要」、「性能が良くて安価なスポーツカーはヒット商品となる」と本社に直訴して生まれたモデルであることは、皆さんもご存じであろう。
ロングノーズ・ショートデッキの流麗なスタイル、パワフルな直列6気筒エンジンと4輪ストラットサスを採用したモノコックボディによってポルシェ 911やジャガー Eタイプに匹敵するパフォーマンス。そしてスターティングプライス3500ドルはライバルに対して圧倒的なバリュー価格で、売れない理由がなかった。
驚異的な販売台数! 世界が認めた日本のスポーツカー
日本では2LのL20搭載のベースモデルに加え、スカイラインGT-Rと同じS20を搭載した「432」、北米仕様と同じ2.4LのL24搭載と専用の外観(グランドノーズ&オーバーフェンダー採用)の「240Z-G」なども用意。更にスポーツカーでありながらATモデル(3速)や全長を延長(+310mm)した4人乗りモデル(2by2)などラインアップされた。
素性の良さからモータースポーツにも積極的に参戦しており、国内レースでは「Zの柳田」こと柳田春人選手の活躍が有名。サファリラリーでは総合優勝も獲得している。
世界総生産販売台数約55万台(その中で日本は約8万台)と、当時のスポーツカーとしては驚異的な記録を残した。それは日本車が「安くて壊れない」に加えて「高性能」であることを世界が認めた結果だと思っている。
2:4代目フェアレディZ(Z32)1989~2000年
バブル全盛期! 平成生まれのワイド&ロー
2台目は、1989年(平成元年)に登場した4代目(Z32)だ。2代目、3代目も初代のコンセプト「コストパフォーマンスに優れるスポーツカー」の地位を築いてきたが、80年半ばの円高の影響で価格上昇は避けられない状況になった。更にバブル景気のイケイケムードも相まって、コンセプトは従来の路線から大きく変更。
エクステリアはこれまでのロングノーズ・ショートデッキの古典的スポーツカースタイルから現在のスポーツカーにも繋がるワイド&ローでショートノーズのスタイルを採用。
2シーター、2by2が用意されるのは歴代モデルと共通だが、単純に全長を伸ばすのではなくホイールベースが異なる2つのシャシーを開発。初代~3代目は2シーターに対して2by2はどこかデザインに無理やり感があったが、Z32はどちらもカッコよかった。
今では贅沢!? エンジン、シャシーも専用設計
エンジンはV6-3Lでツインターボ(VG30DETT)と自然吸気(VG30DE)の2タイプ。どちらも短いノーズの中に収めるためほぼ専用設計と言ってもよかった。ツインターボは北米向け300PSに対して、日本向けは運輸省(現在の国交省)の行政指導により280PSに抑えられたのは有名な話だ。
シャシーはZ32専用設計で、4輪マルチリンクサスにスーパーハイキャスと当時の最先端の機構を採用。当時日産の「901活動(1990年代までに技術の世界一を目指す車作りを目標とした運動)」も相まって、大柄なボディながら優れたハンドリングを実現。しかし、走りの味付けはバリバリのスポーツ方向ではなくグランツーリスモ的な性格だった。また、92年にはフルオープンモデル「コンバーチブル」が追加されている。
スカイラインGT-R(R32)と競うも、専用設計がアダに
同時期に登場したスカイラインGT-R(R32)と比べられる事も多かったが、性能はともかく同時期に同メーカーから兄弟関係もないフラッグシップスポーツが2台登場…という状況は、当時の勢いを感じる部分だ。
しかし、バブルはあっという間に崩壊し世の中は自粛ムードに。その後、スカイラインGT-RはR32→R33→R34と進化していったがZは専用設計が仇となり、細かい改良は行なわれたが世代交代や大きな進化が行なわず淡々と生産が続けられ、2000年に販売終了。
Zの歴史の中ではZ32は不遇のモデルとも言われる事も多いが、筆者はエンジニアリング的には初代以上に“志”が高かったモデルだと思っている。
3:5代目フェアレディZ(Z33)2002~2008年
苦境の中、初代を思わせるデザインに原点回帰
3台目は、2002年に登場した5代目(Z33)だ。バブル崩壊以降、業績不振に苦しんでいた日産だが1999年にルノーと資本提携を結んだ。大規模なリストラも行ったが、カルロス・ゴーン氏をはじめとする経営陣はZとGT-Rをともに「日産の大事な財産」だと判断。復活のイメージリーダーとして開発が進められた。
上級移行したZ32の反省もあり原点回帰が行なわれ、エクステリアはどこか初代を彷彿とさせるスタイリングを採用。プラットフォーム、サスペンション、パワートレインなどはスカイライン(V35)と共用となり、俗に言うFMプラットフォームシリーズの一員に。そのため、歴代モデルに設定されていた2by2はスカイラインクーペに託し、2シーターのみの設定となった。
ちなみにZの伝統であるTバールーフは廃止されたが、Z32でラインナップされていたオープン「ロードスター」をクーペから遅れること1年後に追加した。
「Zは毎年改良していく」
初期モデルはスポーツ性に特化していたが、開発責任者(当時)湯川 伸次郎氏の「Zは毎年改良していく」の言葉通り、フットワーク系のみならず、パワートレインにもシッカリと手が入り、バランスのいいスポーツモデルへと成長。
エンジンはV6-3.5Lの自然吸気(VQ35DE)を搭載。途中で出力アップ(280→294PS)やレブリミットアップ(6600→7000rpm)も実施された。更に2007年の改良では新設計のVQ35HR(313PS、レブリミット7500rpm)に刷新されている。
SUPER GTでも大活躍!
Z33は様々な派生モデルが用意されたことでも有名で、スーパーGTのホモロゲモデル「タイプE」、それをベースにNISMOがモディファイを行なったコンプリートモデル「S-tune GT」、NISMO/オーテックの共同開発で生まれた量産の域を超えた理想のZ33「バージョンNISMO」、更にスーパー耐久参戦用レースカーの公道仕様「バージョンNISMO Type 380RS」などが登場。
Z33はスカイラインGT-R(R34)の生産終了と同タイミングで登場しており、日産スポーツのフラッグシップの役目も担っていたため、モータースポーツでの活躍も記憶に残っているだろう。
[筆者:山本 シンヤ]
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