次期エスティマの開発凍結から一転、トヨタが開発にGO!?時代が求める次世代クロスオーバーへ(1/2)
- 筆者: 桃田 健史
- カメラマン:茂呂幸正/トヨタ自動車
名古屋で感じた、第四世代『エスティマ』誕生の可能性
今年6月、トヨタ関連企業での会合のため、名古屋に行った。
その際、名駅(めいえき:地元では名古屋駅をそう呼ぶ)前のミッドランドスクエア内のトヨタショールームを覗いてみてビックリ。2階の展示スペース中央に置かれた、『エスティマ』に興味を示す人がかなり多かったのだ。
発売して間もない時期だったとはいえ、またフロントマスクなどの意匠が変わったとはいえ、所詮マイナーチェンジだ。基本的には2006年発売の第三世代であり、今年でなんと10年間もフルモデルチェンジしないという、大衆車としては異例の単一世代での超ロングセラーである。それほどまでに、世間はエスティマを求めているのだ。
この時、筆者は同ショールーム内に20分間ほど滞在したが、エスティマの周りにはいつも数人が集まっていた。年齢層は20代のカップルから老年のご夫婦までと幅広い。前から写真を撮ったり、運転席や後席に乗り込んで車内を見回したりして、「素敵だ」とか「カッコいい」と話していた。彼らにとって、“10年間フルモデルチェンジ無し”などという発想は皆無なのだろう。
こうした現場の実情が示すように、本サイトを含めて、今回のエスティマ・マイナーチェンジに関する記事のPV(ページビュー)は、同時期にフルモデルチェンジした各車を凌ぐ勢いだった。
このような市場の声を、トヨタ本社も十分に認識している。だからこそ、自動車業界周辺で「一時は開発が凍結したエスティマが一転して、第四世代の開発にGOがかかった」という噂が飛び交うようになったのだ。
噂の真偽はどうであれ、各種データや販売現場で『エスティマは進化し続けることが当然だ』と証明されている現状で、トヨタ本社が次期エスティマ開発の凍結を固辞する理由はない。
時代が一巡して、再び「クロスオーバー」へ
エスティマが生まれたのは、バブル期の真っただ中、1990年。だが、その存在は決してバブリーではなく、新しい日本のクルマを強く感じる時代の『ゲームチェンジャー』だった。
エスティマの製品企画が始まった80年代半ば、日本にはまだ、ミニバン文化が根付いていなかったが、その兆候が見え始めていた。それが、タウンエースの流行と、ハイエースの乗用化だ。
当時、筆者は日本国内レース等に出場していたが、レースチームの移動ではタウンエースを使う人が急増。もともとは商用車だったタウンエースが、RV(レクリエ―ショナル・ヴィークル)ブームなどを背景に、乗用車へと商品のポジショニングを変化させていた。また、タウンエースでは車内空間が物足りない人たちが、商用車の兄貴分であるハイエースの車内を改造して、乗用車として活用するケースも目立ってきた。
そうした時代のなかで、『天才たまご』と称する、ガラス部分が極めて大きく前衛的で、しかも車内が極めてルーミーな、乗用車と商用バンの「クロスオーバー」として登場したのがエスティマだ。ただし、その頃はクロスオーバーというワードはトヨタも自動車メディアも使わず、せいぜいマルチ・パーパス・ヴィークル(MPV)と表現するに止まっていた。
だが、エスティマの存在感は2000年代に入ると急速に弱まっていった。なぜなら、エスティマより大柄な『アルファード』が登場し、トヨタのミニバン・ヒエラルキーが大きく変わったからだ。
アルファード誕生の頃、トヨタ主催の公道試乗会に出向くと、トヨタ関係者たちは「エスティマに対して…」という枕詞を多用した。アルファード車体は、エスティマがベースという設計要件に加えて、製品として『いかにエスティマとの差別化を図るか』を模索していたからだ。そして、その当時、多くのトヨタ関係者が、『まさかアルファードがここまでブレイクするとは!?』と思っていたはずだ。
愛車の売却を、もっと楽に!もっと高く!
-
一括査定はたくさんの買取店からの電話が面倒?
これまでの一括査定は、たくさんの買取店からの電話が面倒でした。MOTA車買取なら、最大20社の査定額をwebで簡単比較。やり取りするのは査定額上位の3社だけ。車の査定が楽に完結する仕組みです。
-
一括査定は本当に高く売れるの?
これまでは、買取店に会わないと査定額がわからず、比較がしづらい仕組みでした。MOTA車買取は最短3時間後、最大20社を簡単比較。加えて、買取店は査定額上位3社に選ばれるために競い合うから、どうしても高く売れてしまいます。