THE NEXTALK ~次の世界へ~ 本田技術研究所 渡邉生 主任研究員 インタビュー(2/5)
- 筆者: 御堀 直嗣
- カメラマン:佐藤康彦
自動車メーカーというより、ホンダに入りたかった。
なぜ、ホンダに入社したのか?。渡邉生の答えは、明快であった。
ホンダは、渡邉生が生まれた1964年に、7月のドイツグランプリから第1期のF1活動をはじめた。その2年前の1962年には4輪車へ進出することを発表し、翌63年にDOHCエンジンを搭載した軽トラックT360を発売している。そして、2人乗りスポーツカーのS500へと続く。
72年にシビックを発売、76年にはアコードが発売となった。こじつけて言えば、多感な小学生時代まで、渡邉生の成長と合わさるように、ホンダの4輪事業は発展していった。さらに、周到にF2参戦から足掛かりをつけ、いったん休止していたF1に83年から復帰する。87年からは鈴鹿サーキットで日本グランプリが始まった。その翌88年に、渡邉生は大学を卒業し、ホンダに入社した。
その後、数値計算をやりたくて、CAE(Computer Aided Engineering=コンピュータを活用した解析や設計:筆者注)の部署に異動しました。そこで5年ほど、構造解析や振動計算、エンジン性能のシミュレーションなどをやりました。
次に、エンジン設計です。ここでいよいよエンジン図面を引いて、商品を作る仕事になります。最初は芝刈り機や発電機用エンジンの部品設計で、次にエンジン全体のレイアウトをしました。
その次は、基礎研究や先行開発をする部署に異動です。99年のことでした。そこでの開発の目的は、主に燃費の改善ですね。この部署で、2001年から、今回の複リンク式高膨張比エンジンのラージプロジェクトリーダー(LPL)になりました。
ホンダでは、年功序列に関係なくラージプロジェクトリーダー(LPL)と呼ばれる開発の責任を負う立場に立たされる。新しい開発、何か際立った開発では、若手がLPLになることがまれではないと渡邉生は言う。そうしたなか、30代半ばで初めての渡邉がLPLを経験するというのは、ホンダ内でいえば年齢的に遅い方で、逆にプレッシャーがあったと渡邉は回顧する。
愛車の売却を、もっと楽に!もっと高く!
-
一括査定はたくさんの買取店からの電話が面倒?
これまでの一括査定は、たくさんの買取店からの電話が面倒でした。MOTA車買取なら、最大20社の査定額をwebで簡単比較。やり取りするのは査定額上位の3社だけ。車の査定が楽に完結する仕組みです。
-
一括査定は本当に高く売れるの?
これまでは、買取店に会わないと査定額がわからず、比較がしづらい仕組みでした。MOTA車買取は最短3時間後、最大20社を簡単比較。加えて、買取店は査定額上位3社に選ばれるために競い合うから、どうしても高く売れてしまいます。