アバルト グランデプント 試乗レポート(1/4)
- 筆者: 日下部 保雄
- カメラマン:原田淳
アバルト、その熱き響き
アバルトという名を聞くと自動車がもっと自由だった頃を思い起こさせる。珠玉のようなボディに情熱のエンジン、小排気量クラスで圧倒的に速かったレーシングカー・・・・・。イタリアの男は誰もがいつかアバルトを手に入れたいと思い、そして世界中の多くの若者がアバルトに憧れた時代があった。
アバルトの創始者カール・アバルト(カルロ・アバルト)は、1908年にオ-ストリアで誕生し、戦前のヨーロッパのモーターサイクルレースでライダー、ビルダーとして成功し、戦後イタリアに移住した後アバルト&C社を興す。彼の才能はすぐに花開き、チューナーとして、そしてビルダーとして急速に成長して行った。イタリアの星といわれたアバルトの始まりである。ちなみにアバルトのシンボル、サソリはカルロ・アバルトの星座がサソリ座だったことからエンブレムとなったといわれている。彼は星占術の熱烈な信奉者だったのだ。
さて、アバルト&C社はフィアット車ばかりをベースとしていたのかといえばそうではなく、その目に適った車種は何でもベースとした。とはいえやはり主力はフィアットだ。当時のヨーロッパ人の足、フィアット500や850をベースにしたモデルは世界中の若者たちに熱狂的に迎えられ、名車を次々と生み出していった。
しかし、1971年アバルト&C社はフィアットに全株式を売却し、フィアットグループの傘下となった。
スポーツ部門の中でラリーはアバルト、F1はフェラーリが担当することになったが、フィアットの経営状態が悪化し、アバルトの功績を理解しない人々が増えるにつれて、フィアット内での勢力は次第に弱まりアバルトの名は表舞台から姿を消すこととなる。
かつての栄光につつまれたアバルト&C社、そしてアバルト131とフォード・エスコートRSとの死力を尽くした名勝負。さらにランチャ037ラリーに繋がるアバルトの系譜を知る者にとっては、寂しい限りだった。アバルトはモータースポーツファンにとっては刺激的で、かつ、なくてはならない存在。いつか必ず復活すると信じられていた。
そんなアバルトが、2007年にフィアットから公式ブランドとして復活した。全盛期まではのぞむべくもないが、サソリのバッジだけではなく、かつてのように独立したメーカー、アバルト&C社として始動を始めたのだ。
日本でもアバルトの専門ディーラーが4つの都市で展開される予定だ。なんとも嬉しい話ではないか!
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