THE NEXTALK ~次の世界へ~ 東海大学教授 林義正 工学博士 インタビュー(1/5)
- 筆者: 御堀 直嗣
- カメラマン:佐藤靖彦
THE NEXTALK ~次の世界へ~
日々進化する自動車技術。それを取り巻く自動車環境・・・。
現代人の生活は、この「自動車」という分野と、隔絶し難い関係であることは言うまでもない。世界中の自動車メーカー各社が生み出す最新テクノロジーは、まさに目まぐるしい競争社会の中で、それぞれの成長過程を築き上げ、それを私たちの生活を含めた広い分野へと放出しはじめている。
しかし、我々の生活と自動車の密接なる関係は、一体どのように形成され、そしてどのように発展していくのか。そんな疑問に立ち返りながら、自動車と深く関わり合う業界のキーマン達へ直撃インタビューを行う企画、それが「THE NEXTALK ~次の世界へ~」だ。
さて、今回のキーマンは、元日産自動車の技術者であり、その後大学教授へと転身を行った林義正氏。教授になりたての直後、理論だけを追い求め、現実の課題に直面するとそれを打破できないでいる学生に彼は困惑した。そんな彼らに教員として一体何をしてやれるのか・・・そう考えた林のひとつの答えが、学生を「ル・マン24時間耐久レース」へ出場させることであった。
そんな、大胆不敵な発想を実現させた林義正教授とは一体どのような人物なのか・・・。
経験のない理論より、理論のない経験の方がましだ。 経験は最大の教師である。
ギャーッと口に出してしまうくらい青天の霹靂だった。と、林義正は日産自動車入社のきっかけを著書『世界最高のレーシングカーを作る』(光文社新書)の中で語っている。子供のころの夢が、航空工学をやること/自家用車を持つこと/射撃の達人になることの3つであったと言う林の就職希望は、航空自衛隊であった。
1960年代初頭の航空工学科の学生の目からは、残り物扱いであったと回顧する自動車メーカーに就職した林は、しかし、プロフィールにある通り3つの技術賞を受賞する開発成果を残す。さらに、日産のレース活動のなかで、90~92年の全日本選手権3連覇、92年はまたデイトナ24時間レース総合優勝の成績を残し、そして94年に退社すると、一転、東海大学の教授に転身した。
大学で、若者の“課題突破力”を引き出すため挑戦したのは、日産時代も優勝には手の届かなかったル・マン24時間レースへの参加であった。
林 義正(はやし よしまさ)プロフィール
1938年3月26日 東京都文京区生まれ
1962年:九州大学工学部航空工学科卒業 同年4月:日産自動車入社 日産中央研究所配属
1979年:「急速燃焼方式を採用した小型ガソリン機関の開発」で、機械学会賞・技術賞受賞
1982年:「エンジン運転中のクランク軸および主軸部の運動解析」で、自動車技術会・浅原賞学術奨励賞受賞
1985年:「ベアリングビームによるエンジン騒音低減」で、科学技術長官賞受賞
1987年:スポーツ車両開発センター長
1990年:ル・マン24時間レースで日本車初の予選1位(ポールポジション)獲得
1990~92年:全日本プロトタイプカー選手権3連覇
1992年:デイトナ24時間レースに日本車として初優勝
1994年2月:日産自動車退社 同年4月:東海大学工学部動力機械工学科教授
2008年:学生チームとして初めてル・マン24時間レース出場
2009~10年:アジアン・ル・マン参戦、国内チーム最上位獲得
2011年:スピリット・オブ・ル・マン・トロフィー受賞
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