【高速道路】東名より名神の開通が先だったわけ
- 筆者: 清水 草一
【高速道路】東名より名神の開通が先だったわけ
東京オリンピックに合わせて、首都高と新幹線が開通しましたが、本格的な高速道路(都市間高速道路)は、西から建設が始まりました。それはなぜだったのでしょう?
まず建設されるべきは、東京~名古屋~大阪間であることは誰の目にも明らかでしたが、そのルートをめぐって、調整が難航したのです。
1957年、最初に構想された7本の高速道路案では、東京~名古屋間は中央道ルートでした。それも、現在JR東海が建設しようとしているリニア新幹線と同様、山梨県から赤石山脈を貫通して名古屋へと向かう、最短距離の直線ルートだったのです。名古屋から西は、現在の名神高速と同様です。
つまり名神は、もともと中央道と一体で構想された、中央道の一部なのです。道路の法定路線名も、中央道と名神高速を併せて「中央自動車道」となっています。そう、名神高速は、法律上は中央道なのです!
しかし、東京~名古屋間は、人口の多い静岡県側の海岸ルートを採るべきという意見も強く、両者の間で激しい論争が繰り広げられました。また、赤石山脈を貫通できるのかという、技術的な問題もありました。
決着がつかないため、西から建設が進められることになり、1958年、中央道のうち「名神高速道路」と通称されることになった区間から着工。
1963年7月16日、日本初の本格的高速道路として、栗東~尼崎間が開通しました。
名神は、オリンピック前の1964年9月6日に一宮~西宮間が開通。同じ年の10月1日には新幹線も開通し、両者が並走することになりました。小牧~西宮間全線の開通は1965年7月1日です。
MJブロンディの「ひとりごと」
開通当時の国産車は、時速100キロでの走行は想定していないものが多かったため、オーバーヒートなど故障が続出。また、高速道路自体が観光名所となり、路肩にクルマを止めて弁当を食べる光景も見られたと言います。
開通後いきなり時速400キロオーバーの速度記録への挑戦が行われたドイツ・アウトバーンとは、雰囲気がまるで違いますね。
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