過密化する東京の人口とクルマ事情/清水草一(2/2)
- 筆者: 清水 草一
地方の空洞化現象を止めるには
地方へ行くと、駅前はまるでゴーストタウンだ。アーケード付きの商店街はあっても、店はシャッターを閉めたまま。県庁所在地であってもゴーストタウン化している!で、人々はどこにいるかと思うと、郊外のロードサイドにある大型店舗。「ザ・空洞化現象」である。
こういう状況が、買い物難民を増やしている。過疎地域に住んでいてクルマがないと買い物に困るのはまだしも、町の中心部に住んでいてもクルマがないと買い物に行けないようになりつつある。
これは、クルマを運転できない老人にとっては、生活環境の悪化以外の何物でもない。
こういう状況を改善しようと、「コンパクトシティ」を目指しつつある町もある。富山市は中心部に商圏を戻すべく、路面電車を再整備した。その他札幌、青森、仙台、豊橋などもコンパクトシティ化を目指しているが、一度空洞化した中心部を復活させるのは容易ではない。
なんだかんだ言って、すべてクルマで移動する生活というのはとてもラクだし、一度できた郊外のロードサイド商圏を撤去するわけにも行かない。やる気のない昔ながらの商店が少し並ぶだけの中心街が、綿密なマーケティングによる膨大な品揃えを誇る大資本のロードサイド店に対抗するのは至難の業だ。
杉並区在住の私も、ちょっと大きな買い物の時は、安くて品揃えの豊富な大型店舗までクルマで行っている。杉並区あたりにはあまり大型店舗がないので、選択肢が少ないのが不満だったりもする。だから地方に行くと「大型店だらけですごく便利じゃん!」と感じてしまう。
クルマを運転できるうちは、ロードサイドの大型店舗がたくさんあった方が、実際のところ便利なのだ。が、それは目先の便利さ。いつか自分が運転できなくなった時、大きなしっぺ返しが待っている・・・。
町全体としても魅力の減退につながる。ぜんぜん特徴のない、スッカラカンの町になってしまえば、観光客など来るわけもなく、文化も消える。長い目で見れば絶対にマイナスだ。じゃ、いったいどういう形が望ましいのだろう?
月並みな結論だが、中心部とロードサイドの両方に商圏があるのが一番である。中心部は中心部で頑張って再生を図りつつ、郊外への大型店の出店はそろそろ規制すべきじゃないか。ヨーロッパで小・中都市の中心部が活気を失っていないのは、厳しい出店規制があってのことだ。それが緩いアメリカでは、すでに日本以上に空洞化が進行している。
デトロイトのような大都市でさえ、中心部はスラム化したままでカラッポだ。中心のない町は、訪れてもまったく魅力がなく、本当に寂しい。それは文化の崩壊でもある。ある程度空洞化を食い止め、ある程度クルマなしでも生活できる環境が全国に分布するようになった方が、日本のクルマ文化にとってもいいんじゃないか。
海外の購買力によって支えられている国産メーカー
今、大半のユーザーがクルマに求める要素は、冷蔵庫や洗濯機に求めるものとまったく変わらない。
そこには趣味性はまったくない。高性能は一切いらないし、ラクに安く動けばそれで良しになっている。国産車がここまで白物家電化したのは、クルマ社会化の進行によるものだとも言える。
もはや日本車の国際競争力は、多くが海外のクルマ好きたちの購買力によって支えられている。
国産メーカーは、日本市場向けには激安車やミニバンを中心に開発し、高付加価値車は海外向けに開発したものを一応国内でも売る、といったスタンスになってるじゃないか!(唯一の例外がハイブリッドカーだ)
地方都市の空洞化が止まり、クルマに現在よりも趣味・嗜好性が戻る時、国内のクルマの売れ行きは今よりさらに落ちるだろう。しかし、中国やインドなど新興国の自動車産業が力をつけていくであろう将来を考えると、白物グルマに頼っていては、日本の自動車産業にとってよくない。
「クルマはクルマ好きが趣味で買うもの」という側面が若干でも増えた方が、国際競争力上、かえっていいんじゃないか。もちろん、さらなる高齢化が進む国民の生活にとっても。
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