ホンダ インテグラが米国で復活へ! “カッコインテグラ”から伝説のタイプRまで…日本導入も期待したいインテグラの歴代モデルを振り返る
- 筆者: 小鮒 康一
- カメラマン:Honda
先日、突如アキュラから2022年の登場が予告されたインテグラ。アキュラとは日本国外に置けるホンダの高級車ブランドであり、1986年のブランド立ち上げのときにレジェンドと共にラインナップされていたのがインテグラだった。そういった経緯もあり、インテグラの名前はアキュラにとっては特別な意味を持つということも言えるだろう。
もちろん日本国内でも「タイプR」をはじめとするスポーティクーペとして根強い人気を誇っており、新型インテグラは日本への導入も期待される。今回はそんなホンダ インテグラの歴史を改めて振り返ってみたい。
リトラスタイルは当時のホンダ車のトレンド!「初代クイント・インテグラ」[1985年~1989年]
初めてインテグラの名前が冠された4輪モデルは1985年2月に登場したクイント・インテグラだ。
車名に「クイント」とつくことからも分かるように1980年に登場したクイントからバトンを受けたもの。五重奏の意味を持つ先代クイントは5ドアハッチバックのみという「名は体を表す」モデルだった。
しかし、クイント・インテグラは当初3ドアハッチバックのみのラインナップで、当時としては画期的な全車1.6リッターのDOHCエンジンのみを搭載するスポーティクーペに生まれ変わっていたのだ。
ただ、同年11月には5ドアハッチバックが追加され、翌86年10月には4ドアセダンも用意されるというワイドバリエーションとなっている。また、セダンが投入されたタイミングで1.5リッターのSOHCエンジンもラインナップに追加され、全車DOHCではなくなっている。
エクステリアは当時流行していたリトラクタブルヘッドライトを採用し、遅れて登場した2代目アコードにも似たデザインとなっており、シビックとアコードの間を埋める車種という初代クイントの意思を受け継いだモデルであることを感じさせていた。
“カッコインテグラ”は4ドアハードトップも追加しバブル絶頂期を迎えた「2代目インテグラ」[1989年~1993年]
1989年4月にフルモデルチェンジを果たしたインテグラは、クイントの名前が外れて単にインテグラとなった。このタイミングで5ドアハッチバックはラインナップから外れており、五重奏と無関係なモデルになったことを暗に意味していたのだろう。
ボディタイプは3ドアハッチバックと4ドアハードトップセダンの2種類に絞られ、ボディサイズは拡大。しかし全高は先代よりも低められており、よりワイド&ローな印象となっていた。
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」出演のマイケル・J・フォックスがTVCMに登場し、カタコトの日本語で『カッコインテグラ』と叫んだのはこのモデルだ。
全体的なプロポーションは先代を引き継いでいたが、リトラクタブルヘッドライトは廃止され、横長のヘッドライトへと改められた。これは同時期のホンダの他車種にも採用されており、当時のファミリーフェイスといったところだろう。
そんな2代目インテグラ最大のトピックは、NAエンジンながら1.6リッターで160馬力というリッター100馬力を達成したB16A型DOHC VTECエンジンを搭載したグレードが存在していたことだろう。
市販車のエンジンでありながら許容回転数8000回転を誇るこのエンジンは、ホンダ=VTECというイメージを植え付けた立役者であり、今でも多くのファンを抱えているのもご存知の通りだ。
伝説の“タイプR”投入は角目の後期モデルから!「3代目インテグラ」[1993年~2001年]
1993年5月に3代目へと進化したインテグラは、まずは3ドアハッチバックがデビューし、2か月遅れで4ドアハードトップセダンが登場。プラットフォームはシビック系と共有していたが、車格が上ということもあり、上級グレードには1.8リッターエンジンを搭載していた。
先代で話題となった高出力なVTECエンジン搭載車も1.8リッターのB18C型となり、最高出力は180馬力と引き続きリッター100馬力はキープしていた。また先代では3ドアにのみVTECエンジンが搭載されていたが、3代目では4ドアモデルにも搭載されるようになっている。
3代目となって最も大きく変わったのはフロントマスクで、初代のリトラクタブルヘッドライト、2代目の横長ライトに続き、丸形4灯のプロジェクターライトを採用。
これが海外では比較的好意的に受け入れられたのに対し、日本国内では不評となり、95年8月のマイナーチェンジで先代のような横長ライトに改められている。
なお、マイナーチェンジ後も3ドアの「SiR-II」のみ丸目4灯のまま98年1月までラインナップされていた。
インテグラの名が伝説になった! タイプR導入は1995年から
そしてマイナーチェンジのタイミングで投入されたのが、NSXに次ぐタイプR第2弾の「インテグラ タイプR」である。もともと高いパフォーマンスを誇っていたVTECエンジン搭載のSiRグレードをベースとして、エンジンやボディ、サスペンションに至るまでアップデート。その結果、ベース車プラス20馬力の200馬力を誇る1.8リッターNAエンジンと、-40kgの軽量化を実現していた。
内装にもレカロ製のバケットシートを備え、MOMO社製のステアリングにチタン製のシフトノブを採用するなど、走りに関わる部分はおごる一方で、リアワイパーや時計、オーディオといった走りに関係ない部分は省略、もしくはオプション設定とするこだわりぶりだったのである。
さらに98年1月にはホイールのインチアップやタイヤのワイド化、ハブの5穴化に加え、大径ブレーキローターやステンレス製の等長エキゾーストマニホールド、ギア比の変更などを盛り込んだ改良が実施されるなど、ホンダの力の入れようを垣間見ることができたのだ。
3ナンバーボディに拡大! 現時点ではファイナルモデル「4代目インテグラ」[2001年~2007年]
4代目へとフルモデルチェンジを果たしたインテグラは2001年7月に登場。それまでラインナップしていた4ドアは消滅し、ボディサイズも3ナンバーサイズへと大型化がなされた。それに伴い搭載されるエンジンも2リッターへと拡大されている。
それまで多岐に渡っていたラインナップも一気に縮小され、160馬力を発生するベーシックな「iS(のちにタイプSに改名)」と、220馬力を誇る「タイプR」の2種類となっている。
前者には5速MTもしくは5速ATが、タイプRには6速MTのみが設定されており、流麗なスペシャリティクーペと本格的なスポーツクーペといったキャラクター分けとなっていたが、すでにクーペ市場が低迷していた時期でもあり、2004年にマイナーチェンジでフェイスリフトを実施するも販売が上向くことはなく、2006年秋に生産を終了し、22年の歴史に一旦終止符を打つことになった。
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