EVの普及と補助金拡大政策への疑問/河村康彦(2/2)
- 筆者: 河村 康彦
未だ残る航続距離の問題
まず明確にしておきたいのは、「現時点でのEVの性能は、ガソリン/ディーゼル車、あるいはハイブリッド車のそれと横比較を出来る段階にはまだ至っていない」という現実だ。
確かに、多くの人にとって日常的な行動範囲はカバー可能な航続距離を備えるのが、昨今発表される最新のEV。が、そうは言っても、高速道路を30分ほども進めばもう充電ナシで帰路につくのは保証の限りではないというのもまた、現在のEVの実力の一端だ。
それゆえに、自らの使い方に照らしてそれで本当に不便はないかという見極めは不可欠。これで少しでも不安を感じる場合、現時点でのEVはまだ自分の使い方に対応出来る実力の持ち主では無いのだと、そのように判断すべきとボクは思う。
ケータイ電話のバッテリーはすぐダメになる、と、そんな不満を抱く人も、基本が同じ仕組みのバッテリーを用いるEVに飛びつくのは考えものだ。
実は、EV用リチウムイオン・バッテリーの寿命は、まだ完全に立証されているとは言い難い。いくら補助金が出るからと言っても、いきなり自らをモルモット役に仕立てる必要はないはずだ。
そもそも、補助金=税金である事を考えれば、それを頼っての普及という先の副大臣が提唱したこの先の政策にも大きな疑問が残る。
例えば、現在の補助制度がこの先も続くと仮定すれば、2010年度に6,000台の販売を目標とする日産リーフは、完売の時点で46億円以上の税金を消費する計算。
「EVは、2020年に世界の販売台数の10%のシェアもあり得る」という日産ゴーン社長の予測比率を日本国内にも当てはめ、仮にその時点で50万台のリーフ相当車種が売れるとなれば、そこに投入する補助金額は実に3,800億円以上と膨大なのだ。
しかし、そんな論点から昨今のテレビや新聞の目が反れているのは、全くもって不思議な事柄だ。
EVの普及にはまだ多くの時間と進化が必要
と、こうした原稿を書きつつも、実はその“正体”がまだ自分でも掴みきれていないのがEVという存在でもある。
例えば、「今後の技術の進歩を入れ込めば、現在のリチウムイオン電池はEV用として十分」と語る人もいれば、「性能はもとより、希少金属のリチウムを用いる事自体が自動車用バッテリーには適しておらず、もはやさらに次世代の“金属空気バッテリー”に頼るべき」と語る技術者がいたりもする。
「電力消費の多い季節や時間帯に多数のEVが急速充電器を同時使用すると、発電能力が不足する」と語るエンジニアがいるかと思えば、「ピーク時に多数のEVの急速充電が行われても、発電能力には十分な余裕がある」という意見も聞かれるという具合なのだ。
すなわち、コメントをする人の立場や職種によって、まるで正反対の意見さえ聞かれるというのがEVに纏わる状況。かくも見極めが難しいだけに、こちらとしても一部の人の意見を耳にしただけで迂闊な記事など書けないのが、EVが置かれた現状でもある。
そうした中で、EVはすぐにでもエンジン車の代替手段になるというイメージが出来上がってしまうのは、やはり余りに短絡的に過ぎると思う。
EVがこの先市場に受け入れられ、成長を続けるためには、まだ多くの時間を掛けた議論と技術のさらなる進化が必要不可欠なのだ。
ところで、世界のEVプロジェクトの急先鋒である日産ゴーン社長が最近語る「EVはCO2ゼロの“完全禁煙者”だがハイブリッドは“節煙者”に過ぎず、両者を同じ土俵で語るべきではない」という趣旨のコメントには、やはり少なからずの違和感と「もはや詭弁にも近いのでは?」という思いがどうしても残ってしまう事も付け加えておこう。
そこまで言うのであれば、EVに供給用の電力はその100%が再生可能エネルギー、もしくは原子力によるCO2ゼロ発電によって生み出されたものでなければならないはず。
しかし、世の中への供給電力には相当分の火力発電によるものも混じる現時点では、それは単に走行時の現象を示すに過ぎない事柄であるわけだ。すなわち、極論すればそれは「人前では吸わないけれど、トイレでは隠れてタバコを吸っている不良高校生」のようなもの。違いますか?ゴーンさん。
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