このままでは日本の自動車メーカーは“生き残れない”!?トヨタも日産も?(2/2)
- 筆者: 桃田 健史
“2つの危機”により国家存亡の恐れも
二番目に登壇したのは、国土交通省・国家政策局・総合計画課長の中村貴志氏だ。
「“国土のグランドデザイン2050”が描く、国土と交通の未来像」という、お堅いイメージの題目だ。だが、具体的な内容は、国民ひとりひとりの将来に直結する意味深いものだ。
そのなかで、「課題認識」として“とんでもないこと”を言った。「2つの危機」として、「人口減少」と「巨大災害の切迫」を挙げ、「対応を誤れば、国家の存亡にもかかわるおそれ」と言い切った。
「人口減少」では、2008年の1億2,808万人をピークとして、2030年には1億1,662万人、2050年には1億人を切って9,708万人まで徐々に減少。だが、そこから先の減少が急速で、2100年には最悪のシナリオでは「3,795万人」になる危険性があるという。
また、最悪のシナリオでの想定死者数が33万人とされる南海トラフ地震については「明日起こっても不思議ではない」と明言。そして、今後は生活や人生に対する価値観が大転換し、「豊かさとは何か」を問い直す必要があり、「守る」だけではなく、新しい文化(暮らし)の創造が不可欠、と結論づけた。
「自動車村」の弊害を早期に払拭せよ
次に登壇したのが、自動車技術会・「社会・交通システム委員会」の石太郎委員長。これまで3年間に渡り議論されてきた、同委員会の活動概要の報告を行った。
その内容は、従来の自動車産業界の常識で考えると「かなりエグい」ものであり、筆者を含めて聴講者の多くが驚きを隠せなかった。
要するに、約130年間に渡り世界で開発が進んできた自動車の「あり方」がいま急激に変化しており、日系メーカーがこれまでの考え方を続けていれば「生き残れない」というものだ。
これまで自動車エンジニアは、自動車を社会の中核として捉えてきた。だが、IoT(モノのインターネット化)などによる社会状況の急激な変化によって、クルマは社会全体のなかでの「ひとつの要素」に成り下がった。
いや、より正確に表現すれば、自動車メーカーは「自分たちが世界を動かしている」という驕り(おごり)があっただけで、「クルマが社会の一部」という現実から目をそむけてきた、と言える。
石氏は講演のなかで、何度も「自動車村」という言葉を使った。自動車エンジニアは日々のルーティーンワークに追われ、世の中の先を見ようとしても、「次の新車開発」を重要視するなか、社会全体を見渡す姿勢が欠如してしまう。よって、似た者同士が集まって居心地の良い場所、いわゆる「自動車村」に引きこもってしまうというのだ。
そして、講演の「さいごに~まとめとして」の、最後の項は次のような言葉で締め括られていた。
「2050年に自動車社会は今のまま存在することは考えにくい。マイナス要因も多いが、これをチャンスととらえて、日本の生き残りのために、今から2050年に向けた知恵を結集し努力を積み重ねなくてはならない」
言い換えれば、現状をルーティーンワークしているだけでは、日本の自動車産業は生き残れないということだ。「言うは易し」だが、実行するのは極めて厳しい。
こうした厳しい現実があることを、ユーザーも認識するべきだと思う。
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