MOTAトップ ニュース/記事 特集 特別企画 社長に訊く ~ボルボ・カー・ジャパン株式会社 代表取締役社長 木村隆之~

国沢光宏Q

輸入車メーカーの日本法人の代表は様々な経歴をお持ちです。ベンツの上野さんは最初からメルセデス・ベンツ 日本ですし、ジャガーのマグナスさんのように海外からおいでになる方も少なくありません。木村さんのご経歴をお願いします。

木村社長

大阪大学の工学部だったのですけれど、同期に優秀な連中がたくさんいて真正面から勝負するのは難しいと思いました。大きな自動車会社なら理系の学校を出ていても文系の部門で使ってくれるんじゃないかと考え、トヨタに入ったんです。

国沢光宏Q

学生の時にそこまで深く考えた、ということでしょうか?

木村社長

考えさせられました。私たちは共通一次試験の世代なので、入学時に理系か文系かを選ばなければならなかったんです。そこで理系を選んだんですが、かなり後悔しました。だから大学院も行かなかったんです。「進路変更」をするべく、大好きな自動車の会社の中でなるべく早く大きな会社に入ろうと思いました。

国沢光宏Q

いろんな方に話をお聞きしますが、木村さんのように学生時代から自分を分析して戦略を練った、という人は初めてです。トヨタに入った後を教えてください。

木村社長

最初の配属は海外営業部門の商品企画でした。仕事の内容は営業と技術の橋渡しで、これは理系の私にとっての得意分野です。会社から評価されたらしく、30歳という年齢で95年からベルギー駐在となり、ヨーロッパの商品企画のヘッドまでやらさせて頂きました。

国沢光宏Q

大きな会社だと同じ部門をずっと続けるということにはならないと思います。

木村社長

そうなんです。5年間ヨーロッパをやったので、次はアメリカをやりたいな、と。するとちょうどサイオンの立ち上げが議論されており、この新ブランドの立ち上げを、最初の承認も含め2年間くらい担当しました。
※注1 サイオンはトヨタとレクサスに続くトヨタにとって3番目の販売ブランドで、主として若いユーザー層をターゲットにしている。

国沢光宏Q

そのままトヨタに居る、というチョイスは木村さんの戦略の中になかったのでしょうか?

木村社長

話は長くなりますが、アメリカから帰ってきたら、日本のレクサスの立ち上げを任命され企画&準備から開業まで3年半やりました。やり甲斐のある仕事だったのですけれど、やっぱり経営者になりたいな、と思い始めた頃、当時、ユニクロの柳井社長が海外進出をするため現地子会社の社長を育成すべく、経営者候補の募集をしてたんです。ユニクロの営業本部で2年間修行している時に日産から声が掛かりましたが、「社長をやりたいからトヨタを辞めたので、部門の担当はやる気がないんです」とお答えしたら、日産も良い会社で3年間インドネシア日産の社長をやらせて頂き、その後2年間タイ日産とアジアパシフィックの社長をやりました。バンコクに居るときに「次は日本人の社長にしたい」と、ボルボから声が掛かった次第です。

国沢光宏Q

話を聞いていて昔の植木等さんが主役だった出世物語の映画を思い出しました(笑)。思い通りの人生ですね!ボルボというメーカーのイメージはどうだったでしょうか?

木村社長

レクサスの日本戦略をやっているとき、21世紀に必要なクルマの条件を4つ挙げたんです。まず「安全」そして当然の如く「環境」。ネット社会ですから「繋がる」ということも大事です。「ライフスタイルを変えるクルマ」というのもプレミアムブランドには大切ですね。という観点でボルボを見ると、けっこういいトコロに居るんじゃ無いかと思いました。

国沢光宏Q

確かにボルボの考え方は21世紀的かもしれません。どちらかといえば走る/曲がる/止まるを重視したドイツのクルマは20世紀のクルマです。会社に入っての教育プログラムとかはあるのでしょうか?

木村社長

あまりないんです(笑)。もちろん本社に行きましたが3日間だけ。その時、日本の市場を重視していることはしっかり解りました。

国沢光宏Q

今までボルボは外国から来た社長だったため、日本人の心に伝わるようなブランドイメージを発信していなかったような気がします。

木村社長

それはあるかもしれません。外国人社長だと任期を意識し、短期勝負になりがちです。私の任期は決まっていません。ディーラーには10年やるかもしれませんよ、と言いました(笑)。長期戦略を練ろうと思っています。

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