MOTAトップ ニュース/記事 特集 特別企画 社長に訊く ~メルセデス・ベンツ日本(株) 上野金太郎 代表取締役社長 兼 CEO~

上野さんとは以前から面識がありましたけれど、
こうやってユックリ話を聞くのは初めてです。
今日は楽しみにしてました!
国沢光宏
Q
上野さんは自動車メディアに知り合いがたくさんいますよね? そのあたりの事情などをまずはお聞きしたいと思います。
上野社長
私は学生の頃からクルマ好きで、恵比寿にある『ミスタークラフト』という模型屋さんに入り浸っていました。 そこでスロットカーをやったり、常連さんと一緒にレーシングカートをやったりしてたんです。 そこの常連さん達が雑誌関係者や、今や大御所になった自動車ジャーナリストの皆さんなんです。
国沢光宏
Q
当時のミスタークラフトはクルマ好きの溜まり場みたいでしたよね。スロットカーやレーシングカートの腕前はどうだったんですか?
上野社長
スロットカーは何度も優勝しました。カートも速かったですよ。そんなことから学生時代は取材で使うクルマ運びのアルバイトもしてました!
国沢光宏
Q
自動車雑誌に誘われませんでしたか?
上野社長
誘われました。でも私の親父が少し変わってまして、私をアメリカンスクールに入れたんですね。だから当時は日本語で文章を書くことを苦手にしてたんです。文章を書く仕事は考えませんでした。早稲田実業から早稲田大学に入れたのは英語の点数が高かったからだと思います(笑)。
国沢光宏
Q
メルセデス・ベンツ日本に入ったキッカケは?
上野社長
就活の際、某テレビ局を受けに行ったんですが、近所にメルセデス・ベンツ日本があるということを知りました。クルマ好きだったので訪ねてみたら、入らないかと誘われて‥‥。
国沢光宏
Q
当時のメルセデス・ベンツ日本は輸入権が無かったと思います。メルセデス・ベンツと言えばヤナセでしたから。
上野社長
そうなんです。その頃、輸入権が戻ってくることになったんです。だから人も必要だったんでしょう。当時は30人くらいの規模の会社でした。3年半くらい営業部に居て、広報部に異動となりました。広報部ではメディアの皆さんから可愛がって頂きました。
国沢光宏
Q
全く関係ないですが、金太郎という名前、日本では一番有名なのに、芸名やリングネーム以外見たことないです。子供の頃にいじめられませんでしたか?
上野社長
アメリカンスクールだったせいか、名前で嫌な思いをしたことはないです。高校の時は身体が大きかったのでケンカを売ってくるヤツもいなかったですし。むしろ社会人になってから覚えられやすくて得をしています。ただ、「大木金太郎さん?」と、たまに言われるので脱力します(笑)。(※大木金太郎:昭和のプロレスラー)
国沢光宏
Q
広報部の後はどういった部門に?
上野社長
もういろんな部門にいました。経歴書を見ないと自分でも怪しいほどです。ドイツに送り込まれて勉強させられたり、社長室を手伝ったり、将来の戦略部門をやらせてもらったりと…。
国沢光宏
Q
なるほど! 経歴書見ると凄いですね! ほぼ全ての部門を経験している。普通なら仕事が出来ないか、将来を背負って立つ人材を育てようとしたか、ですね。
上野社長
私は前者かもしれない、と思ってました(笑)。
でも有り難いことにたくさんの先輩方に教えて貰い、いろんな経験をさせてもらったと感謝しています。
国沢光宏
Q
当然ながらドイツの本社にも知り合いは多いですよね?
上野社長
多いです。偉くなった人もたくさんいます。他の国でメルセデス・ベンツを売っている人達なんかも多いです。
国沢光宏
Q
ある意味、メルセデス・ベンツの中でも有名人ですね! 上野さんのような経歴を持った社長は今までの日本法人の中でも聞いたことないです
上野社長
そうかもしれません。

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