創業は、明治44年。奥駿河湾を臨む景勝地・伊豆三津浜で、吉田茂元首相、志賀直哉、武者小路実篤、梅原龍三郎など、多くの名士や文人に愛されてきた松濤館。浜にせり出すような立地から、どの部屋からも駿河湾の海越しに富士山や南アルプスの山々が眺められる。「旅の目的は、松濤館に来ること」と、この絶景、そして旬を彩る美食や心のこもったおもてなしを楽しみに訪れる常連客は多い。
部屋からの眺めどの部屋からも、くつろぎながら海と富士の絶景を楽しめる
全室オーシャンビューだから、晴れた日には目の前に駿河湾のきらめく海が広がる。その向こうに、世界遺産である名峰の姿も仰ぎ見ることができる。近隣に富士山のビュースポットは多いが、淡島と陸地に挟まれた絶妙なコントラストが美しい富士を見られるのはここだけ。特に3階、4階、5階の各客室フロアで角部屋に当たる特別室「月」からの眺めは最高だ。専用の半露天風呂で、くつろぎながら心ゆくまで絶景を楽しみたい。客室だけでなく、ガラス張りのラウンジ「汐彩」や最上階の展望大浴場「富士の湯」「愛鷹の湯」からも、駿河湾越しの富士山が望める。滞在中ずっと、日本一の山の懐にいだかれているという幸福感から、心身ともにゆったりとほどけていく。
料理料亭街「京小路」の静かな個室で味わう和風創作料理
地場や旬の素材を選りすぐり、卓越した技が生み出す和風創作料理。37歳の中谷岳史料理長は、和の趣を大切にしながら洋のテイストも取り入れ、オリジナリティ溢れる世界を演出する。魚介、肉、野菜をバランスよく、素材の美味しさを引き立てる調理法を日々探求し、アート作品のように彩りの美しい盛り付けにも工夫を凝らす。お品書きはほぼ毎月変わるが、料理長からの提案を一緒に完成させるのは、井上貴裕支配人だ。「お料理を楽しみに来られるお客様が圧倒的に多いので、ここでしか味わえない料理、飲めないお酒をご用意し、喜んでいただきたい」。静岡の地酒を10種類ほど揃え、ビールも地元のクラフトビール、富士山を描いたエチケットのボトルでワインを提供するなど、飲み物にも徹底したこだわりが感じられる。朝食や夕食の場は、昨年7月にリニューアルした料亭街「京小路(みやここうじ)」。数寄屋造りの静かな個室で、美味しい料理とお酒をゆっくり味わえると評判だ。
部屋落ち着いた雰囲気を醸し出す数寄屋造りの室内
一見ホテルのようにモダンな外観だが、一歩中に入ると数寄屋造りの落ち着いた館内。客室は、広々した和室を本間とし、床の間の掛け軸が季節感を醸し出す。昨年7月にリニューアルした特別室「月」と和洋室12畳「色」には独立したベッドルームがあり、シモンズ社製ベッドをしつらえ、質の高い眠りが期待できる。21室中15室に半露天風呂の温泉が付いているので、海を見ながらプライベートなくつろぎタイムを満喫したい。アメニティにもこだわり、客室内のバスアメニティは静岡県のオーガニック製品「オルモニカ」を他施設に先がけて導入。「県内のいいものを紹介していきたい」という井上支配人のこだわりが、ここにも反映されている。
風呂・温泉お湯に浸かりながらも海と富士の絶景を楽しめて極楽気分
海の突堤に建つ松濤館の最上階にある展望大浴場。檜の露天風呂と開放感溢れる内湯からなる「富士の湯」は、お湯に浸かりながら駿河湾越しの富士山を眺められて、まさに極楽気分。岩の露天風呂を備える「愛鷹の湯」は、内湯から富士と三津の海、露天からも海が一望できる。趣の異なる二つの大浴場は、午前と午後で男女を入れ替えるので、ぜひ時間帯を変えてどちらも利用したい。夜景も美しく、駿河湾に浮かぶ漁り火や対岸の町の明かりを眺めていると、時間を忘れてしまいそうだ。体の芯まで温まり、日頃の疲れも節々の痛みもすっきり解消される。多くの客室には半露天風呂の温泉が付いているが、完全予約制の貸切風呂「葛城の湯」も用意されている。一風変わったところでは、米ぬかのパワーで代謝を上げ、さまざまな不調を整える酵素風呂もおすすめ。脱脂したフカフカの米ぬかパウダー100%を酵素の力で発熱させた中に、砂風呂のように体を横たえると、約15分で2時間近くの有酸素運動をした分のカロリーが消費される。電気や石油を使わない自然の発酵熱による発汗で、心も体も軽やかに解き放たれる。
館内の美術品とお土産梅原龍三郎をはじめ、日本を代表する画家の絵に出会う
松濤館のもう一つの魅力は、日本を代表する画家の素晴らしい絵に出会えること。この宿から見る駿河湾越しの富士山をこよなく愛し、毎年逗留して多くの富士を描いたと伝えられる洋画家・梅原龍三郎をはじめ、東山魁夷、伊東深水、前田青邨、小倉遊亀、秋野不矩、草間彌生、棟方志功……あげていくとキリがないほど、館内に多くの画家の貴重な作品が飾られている。白木を基調とし、床の間や障子を設えた格調高いロビーやラウンジ「汐彩」をはじめ、料亭街「京小路」の個室や廊下、各客室、どこにいても美術館のように心が満たされ、興味は尽きない。さらにお土産コーナーには、ここでしか買えない富士山関連の珍しい品や静岡県内の名品が並ぶ。中でも富士山のカタチをした「富士山シュガー」は、入荷してもすぐ売り切れるほどの人気商品。ラウンジでいただける沼津の自家焙煎珈琲屋「花野子」のコーヒーとともに、旅の土産に選びたい。
100年以上もの間、この宿が愛されてきたのは、抜群の立地条件に甘んじることなく日々進化を遂げてきたからだろう。井上支配人は、「100点満点の接客を心がけ、もっとお客様に喜んでいただけるよう、何かできることはないかといつも考えています」と語る。永遠に出せないかもしれない100点を目指し続ける姿勢が、最高のおもてなしを育み、宿としての成長につながる。だからこそ、明治から時代を経て、令和の今もなお名旅館であり続けているのだ。
キーパーソン
静岡県静岡市出身。高校卒業後、ベルボーイに憧れ、ホテルの専門学校で学ぶ。卒業後、約10年間働いた横浜のホテルでは、飲食関係の部署に配属され、その後もいくつかのホテルで飲食中心に勤務。2014年9月、松濤館に入社し、2016年11月より支配人を務める。特技は、お客様の顔と名前、特徴をすぐ覚えられること。「よく来てくださるお客様は、宿に近づいてくる車を見るだけでわかるので、到着されたらまず何をされたいのかを察して行動し、ほかのスタッフにも伝達するようにしています」。記念日などに毎年訪ねてくれる常連客には、その人生にさりげなく寄り添い、喜びや悲しみを分かち合うことも……。
趣味は、旨いもの探し。それは、日々の仕事にも生かされる。「松濤館では、できるだけ地の物をお出ししたいと考えていますが、食材によっては地元が弱いものもあります。より美味しいものをご提供する、そこに主眼を置いております」。現在の職場で働くようになってからは、出身地である静岡県のいいものを探し出し、宿でも提供したいという思いが強まり、地元の蔵元や魅力ある土産物などの開拓にも力を注ぐ。