望月大地選手/今井優杏の「あなたの愛車教えてください!」(2/2)
- 筆者:
- カメラマン:今井優杏
本気でレースを始めたキッカケは、谷口選手との「特訓」から!
―望月選手はドリフトからレースキャリアをスタートされてますが、ドリフトを始めたのはどういう経緯だったんですか?
後輩をバイクの事故で亡くしたんです。その後輩がドリフトをやっていて、遺品である30のソアラを譲り受けました。それがキッカケです。
どうせやるなら大会に出よう、と。出るからには負けたくないと思って、すごく練習しましたよ。
―それまでドリフトをしたことは?
まったくなかったです。サーキットにも行ったことがなかった。31歳の時でした。
―ちょっと失礼な質問をします。すごく不思議なんですけど、当時ドリフトのエントリークラスのような大会に出ている一般人的な立場から、どうやってグリップのレースに出るまでにこぎつけた、というかコネクションを作ったんですか?
人と違うことをする、目立つ、ということは考えました。始めて大会に出たときも、みんな普通の長袖・長ズボン、という恰好の中、俺は派手なレーシングスーツを着て出ました。
もちろん「え?あの人ちょっと勘違いしてるんじゃないの?」みたいな白い目で見られることの方が多かったんですが(笑)、安全面でも俺はそれがベストだと信じてやっていたんです。意外と根がマジメなので。
それから、参戦者としての意見をメールで大会側に送りました。安全面での希望や大会の運営の仕方、たとえば『黄旗をもう少しちゃんと振って下さい』といったようなことですね。そうしているうちに大会側や審査員も気にかけてくれるようになったんです。
―そうして自分の方からコミュニケーションを取って行く、というアプローチが今の望月選手に繋がっていくわけですね。
向こうからは絶対に降りて来てくれませんから。
―以前私がそのドリフトの大会の実況MCをやっていたときに、望月選手はとても印象的だったんです。自分の走行の後には必ず審査員である織戸選手や谷口選手に『今の走りはどうしてダメだったんですか?!』とか喰ってかかって(笑)、真摯さをすごく覚えています。
もちろん自分の走りを見直したい、上手くなりたいという気持ちもありましたが、意見を聞きに行く、ということはアピールでもありました。自分を前に出すのは自分にしか出来ませんから。
―グリップのワンメイクレースなどにも出場されていましたが、グリップのレースに出場されたきっかけはなんだったんでしょう?
とにかく運転が上手くなりたかったんです。ドリフトは今や速度も大きな審査ポイントですから、ドリフトが上手くなりたければグリップを学んだほうがいい。
―織戸選手や谷口選手はもちろん、今や荒選手、片岡選手、松田選手などレーシングドライバーがドリフトを始めてますよね。皆さん同様に仰ってました。
同じ乗り物ですから。タイヤのグリップ力を知ることは大事ですし。ただ年々クルマも進化してますから、腕だけじゃなくクルマ作りも重要なんですが、クルマ作りという面にも双方のノウハウを投入していけますしね。
ただ、本気でレースを始めたのは、やっぱり谷口選手の影響が大きかったです。
―おお!2011年のスーパーGT300クラスチャンピオン!
ある日、出ていた大会の主催である方から電話が突然掛かって来たんです。「マカオでドリフトショーがあるから出てみない?」と。谷口選手とのショー走行への抜擢でした。そのショーに当たっての練習会が岡山で開催されたんですよ。
練習会期間中、岡山のホテルからサーキットまでの山道を、谷口選手を助手席に乗せて、俺が毎日運転していたんです。もちろん谷口さんが乗っているから普段以上に丁寧に運転していたつもりだったんですが、2日目に「何考えて運転してる?」と言われて。基礎的なことをすごく注意されました。
―たとえば?
ハンドルを切るのはハンドルを回すんじゃなくて、タイヤを潰して、サスペンションが伸びて、反対側は沈んで、というのを感じながらハンドルを回さなければいけない、とか。ハンドルは切れば切るほど抵抗になるから、ハンドルを切る時間を短くしたほうが速く走れる、とか。
ラインはサーキットで走らなければ学べないけど、サスペンションの動きやハンドルの舵角は気にして走らなきゃダメだよ、と。そのとき「なるほど!」と衝撃を受けて、「この人変態だ!こんなこと考えて運転してるんだ!」って(笑)。
そのあとの何日間、ずっと特訓を受けました。今じゃもう、考えられないことですけどね。
―そこからクルマを速く走らせるということに興味を持ったんですね。
次の年、誰も知らないのにいきなり坂東商会に行って、「俺、レースやりたいんです!」と。それからヴィッツレースに参戦しました。
―WRCはどんな経緯で?
あのWRCカーのオーナーであるホクアイ動物病院の先生に、呑んでる席で交渉しました(笑)。
本当は俺、ドリフトよりも先にラリーが好きで、DVDとかビデオとか集めまくっていたんです、昔。WRCのビデオは発売日に買いに行くくらいでした。
―意外!
そこから国際ライセンスを取って、クルマ作りなおして、全部整ったのは大会2日前。事前練習はセガラリーというゲームでやりました。
―そこで札幌ドームのSSで一時日本人トップタイムを出すなんて!
いや、最高に楽しかったですよ!今までやってきたキャリアが全部生きたんだと思うんですよ。
谷口さんに教わったこと、ドリフト、グリップ。全力でやってきたことを出し切れたと思います。全部繋がってるんですよね。
今井優杏の「取材後記」
内装業という本業を持ちながらWRCまで上り詰めた望月選手。ご自身で切り開いて来られたキャリアの根底には、行動力とガッツがあるんですね!
今後もGT参戦などを目指し、活動を拡げていかれることのこと、楽しみです。望月選手が内装を手掛けたブレーキパッド『アクレ』のショールームは是非遊びに行ってみて下さいのことでした!
アクレ:
http://www.acre.co.jp/
望月大地選手 Facebook:
http://www.facebook.com/yuukiimai.1210?ref=name#!/profile.php?id=100002414830949
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