カムリも参戦、時速320キロで大クラッシュ連続!全米大人気レース『デイトナ500』とは(2/3)
- 筆者: 桃田 健史
- カメラマン:桃田健史
ストックカーだったのは80年代の初めまで
NASCARは、ストックカーレースの主催企業だ。1950年代後半、全米のクルマ好きが集まり、フロリダ州デイトナビーチの浜辺で、楕円の軌道を描いてレースをしたのがNASCARの始まりだ。その際、NASCARを取りまとめたのが、元銀行家でフロリダ州でガソリンスタンドを経営していた、ビル・フランス氏だ。
さらに、投資を募って、ビーチから3キロメートルほど内陸部の土地に、デイトナ・インターナショナル・スピードウエイを建設した。予算削減のため、フランス氏は自らブルドーザーを操って建設工事に参加したという。
NASCARはデイトナを中心に、米南部のオーバルコースでのレースを統括し、独自のシリーズを確立していく。日頃使っている乗用車を改造した、ストックカー(量産車)を使うことでレース参加費用を抑えたことで、レース参加者が増加していった。
とはいえ、インディアナポリス500マイルレースを中心とする、フォーミュラカーのインディカーレースや、F1チームも参加したアメリカンV8エンジンを搭載したF5000シリーズ、そして60年代にトヨタや日産がレースカーの開発の手本としたCam-Am(カナディアン・アメリカン:カンナム)シリーズなどと比べると、NASCARはマイナーなレースシリーズに過ぎなかった。
90年代中盤までは「邪道なレース」
そうした状況が80年代中盤まで続いた。
その頃は、量産車の改造車によるレースだった。それが、80年代後半からレース専用マシンを採用し、またESPNなどアメリカのスポーツ専門チャンネルと連携し、インカーカメラを駆使した「テレビで見てもバトルが面白いレース」として認知されるようになる。
筆者が初めてNASCARレースをアメリカの現場で見たのは、いまから30年前の1987年だったが、その頃はやっと人気が出始めた頃。
ただし、人気があったのは米南部に限定されていて、東部や西部のレース好きにとっては「邪道なレース」と見られていた。
それが、デール・アンハート(シニア)とジェフ・ゴードンのツートップ時代となった90年代中盤から全米規模の人気シリーズへと飛躍的な成長を遂げた。
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