autoc-one.jp 記事・レポート 特集 特別企画 社長に訊く~フォード・ジャパン・リミテッド 代表取締役社長 兼 CEO 森田 俊生~

国沢光宏
Q
森田さんはフォードジャパン設立当初からのメンバーだということをお聞きしています。
森田社長
そうなんです。最初のキャリアは日本の自動車メーカーですけれど、入社直後に大幅リストラがありまして、販売店に出て売るか、開発に行って原価削減をするか、を迫られました。後者を選んで3年間頑張ったんですけれど、その会社の業績は回復しませんでした。(苦笑)。そんな時にフォードが本格的に日本進出をする聞き応募しました。
国沢光宏
Q
その時のフォードのイメージは?
森田社長
世界有数の自動車メーカーですし、折しも政治問題などでビッグ3が日本の販売台数を増やさなければならない、という時期でもありました。これは面白いかな、と。一方、それまで在籍していた日本のメーカーは回復の兆しもありません。ということで1994年にフォードに移りました。
国沢光宏
Q
当時フォードも決して順調ではなかったと思いますが。
森田社長
やっぱり発展する可能性がありました。大々的にビジネスを広げようと計画していたんです。マスタングを持ってきたり、ヨーロッパからモンデオが入ってきたり。これは面白いな、と魅力を感じました。
国沢光宏
Q
マツダとのアライアンスがあったと記憶しています。
森田社長
そうです。当時はマツダ生産のクルマをフォードのバッジを付け、オートラマで販売していましたが、フォード・ジャパンになってから、インポーターとして北米や欧州で開発生産しているフォード車、いわゆる輸入車販売に力を入れていこうと言うことになります。エクスプローラーの右ハンドルを入れ始めたのもこの頃です。
国沢光宏
Q
フォード・ジャパンに入った頃の仕事はどんなことだったんでしょうか?
森田社長
販売計画を立てたり、生産オーダーを本国に伝えたりという業務です。当時は販売も伸びており、さらにアメリカのベストセラーカーであるトーラスが入ってきたりするなど行け行けドンドンでした。活気がありましたね。ただ徐々に苦労するようになっていきますけど(笑)。
国沢光宏
Q
フォードが日本で売れ行きを伸ばせないのは経営努力や販売方法によるものじゃない気がします。
森田社長
一つは商品やブランドのコンセプトがコロコロ変わることだと考えます。当初はマツダ車ですから国産車に近い価格帯でした。その後、海外のフォード車を販売するようになり、しかもアメリカだけではなく、ヨーロッパ・フォードのクルマも混ざっています。イメージの統一が難しかったですね。
国沢光宏
Q
森田さんは日本のフォードの歴史をずっと見てきています。その上での日本戦略は?
森田社長
反省のもと、少しづつ努力していきたいと考えています(笑)。日本の場合、一朝一夕でブランドを作ろうとしても難しい。フォードの魅力的な車種をキチンと入れ、丁寧に売っていきます。それが遠回りのようでいて一番良いと思います。
国沢光宏
Q
アメリカの方も日本のフォードの社長になったことがありました。その時はどんな戦略を打ち出したのでしょうか?
森田社長
ランディ・クリーガーですね。彼は日本のフォードの戦略を大きく変えました。彼の役割は混乱していたフォードブランドを統一しようという最初の計画を立てることだったんです。次のアメリカ人の社長もそれを引き継ぎ、今に至っています。

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