MOTAトップ ニュース/記事 特集 特別企画 社長に訊く -三菱自動車工業株式会社 取締役社長 益子 修-

国沢光宏
Q
益子さんが社長になった時から今までの数年間は、三菱自動車の社史の中で最も厳しい向かい風だったと思います。
益子社長
そもそも私が引き受けた時点で状況は良くなかったですから、ある程度の覚悟はしていました。何とか体制を整え、2007年度に過去最高益を出し、これから、という時に2008年のリーマンショックです。続いて2011年の東日本大震災。こんな大きな災害が起きるなんて思ってもいませんでした。
国沢光宏
Q
この期間に社長だった人は皆さん大変だったと思います。高いハードルがいくつも出てきています。
益子社長
2007年度で社長を引退した人は良かった(笑)。2008年度以降に社長になった人は、皆さん大変な苦労をしていると思います。大震災の後、追い打ちを掛けるようにタイの洪水ですから。洪水でグローバルスモール(ミラージュ)の工場建設が止まってしまいました。その間、信じられない円高も続きます。
国沢光宏
Q
三菱自動車の現状はどうなっていますでしょうか。外から見てると、まだ「元気一杯になった」という雰囲気を感じないです。
益子社長
3回目の中期経営計画の途中なんですけれど、ここにきてやっと私たちが打ってきた戦略が利益に貢献し始めた状況にあります。円高が修正されたということも大きいと思います。今期は過去最高益にチャレンジする環境にあります。
国沢光宏
Q
三菱自動車が行ってきた戦略をもう少し具体的に教えて頂けますか。
益子社長
新興国と環境対応技術を成長のエンジンにしようというのが基軸です。タイや中国で建てた新工場も収益に貢献し始めました。一方、長い間、赤字に苦しんできた先進国ですけれど、2008年にオーストラリアの工場を閉め、2012年にはオランダ工場も手放し、身軽になりました。
国沢光宏
Q
国内販売復活の柱になりそうな「アウトランダーPHEV」のバッテリートラブルは周囲から見ていても不運だったと思います。
益子社長
リチウムイオン電池を搭載した「i-MiEV」を2009年から生産し始めて、3万台以上販売してきたが、一度も問題を起こしていなかった。同じ電池メーカーの、同じ素材なので、信頼してました。トラブルの原因を追及したら単純なヒューマンエラーで、本来なら電池メーカーが防げたトラブルでした。そういった意味では残念ですが、これからも一体となって改善対応をしっかりやっていきます。
国沢光宏
Q
電気自動車と言えば日産のイメージが強くなりつつあります。電気自動車の先駆けは三菱自動車で、益子さんが開発と販売を決断されたとお聞きしています。
益子社長
そうです。ハイブリッドを追いかけても届かないと思った。それだったら新しい技術に取り組もうと。ちょうどリチウムイオン電池がモノになりそうな状況でした。石油もいずれ枯渇する。再生エネルギーとの相性もよい。電気でクルマを走らせることは社会にとってもプラスになるだろうと考え判断したんです。
国沢光宏
Q
普及前夜を迎えている電気自動車ですけれど、三菱自動車のスタートは2年くらい早かったかもしれません。すでに販売現場が疲れている感じです。
益子社長
思ったより反響が大きかったため期待を大きく膨らませていたのですが、価格や航続距離、充電場所が課題だった。ピュアEVが普及する前にワンステップ必要だと考えました。それがPHEVです。手応えを感じています。
国沢光宏
Q
電気自動車に加えPHEVを三菱自動車の中心的な技術にしていく、という理解でよいでしょうか?
益子社長
そうですね。嬉しいことに「アウトランダーPHEV」の評価が高く、輸出は生産が間に合わないほどです。アジアンラリーにも出場させました。ああいう苛酷な条件で2,000kmを完走できたのは自信になりましたね。リコールを届け出た日本でも、4千台分のバッテリー全量を交換する作業が完了しましたから、これからキチンと売っていきたいと思います。
国沢光宏
Q
最近ガソリンスタンドがドンドン少なくなってきています。電気自動車の軽商用車などもニーズ大きい。思い切って電気自動車を展開するには今のような気がします。
益子社長
「i-MiEV」の発売当初はバッテリーの値段とプリウスの価格が同じくらいでした。でもここにきて随分安価になっています。先ほど「疲れている感じ」と言われたことを販売現場にも伝えたいと思います。パイクスピークにも挑戦しましたし、これからいろんな取り組みをしていきたいです。

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