autoc-one.jp 記事・レポート 特集 特別企画 社長に訊く ~本田技研工業(株)代表取締役 社長執行役員 伊東孝紳~

国沢光宏
Q
2年くらい前だったと思いますが「ホンダは何をやってるんだ!」という向かい風が最も強かった時に、今後のホンダについて伊東さんからいろんな話を伺いましたね。
伊東社長
そうでしたね。あのときは本当に厳しかったです。事実、行き詰まっていたと思います。例えば「モーター」に代表される次世代技術の開発をほとんどやっていませんでした。そんなことからホンダについて厳しい意見を、皆さんが想像出来ないくらい頂きました。
国沢光宏
Q
でも最近、少し向かい風は緩くなってきたような気がします。
仕込んだ製品や技術が出てきたということでしょうか?
伊東社長
実は軽自動車についていえば社長になる1年くらい前から仕込んでいたんです。
日本は軽自動車だと考えていて、すでにスタートを切っていました。
ハイブリッドなど新しい技術については社長になってからスタートさせています。
国沢光宏
Q
だから軽自動車は1年半前に(注・N BOXは2011年10月発売)出てきたということですね。そしてアコードHVを皮切りに新技術もたくさん登場してくる。ということが解ってきたので向かい風も緩くなった。
伊東社長
結論から言うとボクはホンダを救ったな、と。(笑)いやいやボクじゃないですよ。救ったのは、リーマンショックなんです! あれがなければ大きな方針変更は出来なかったと思います。リーマンショックまではアメリカを中心とした先進国のビジネスを中心に考えていました。もう一つ。為替レートも日本をベースにやっていけたんです。でも一遍に状況が変わりました。
国沢光宏
Q
考えてみれば直近の1年でインドやインドネシア、タイなどにも積極的な投資をしていますね。以前は、車種もアコードやシビッククラスなどアメリカを中心とした高級/大型化路線でしたが、今は軽自動車や、フィットクラスをベースにした車種が増えてきていますね?
伊東社長
社長になった当時、V8エンジンを搭載したFRの大型車とか、V10のNSXなどが開発の最終段階に差し掛かっていました。みんな素晴らしいクルマでしたよ。しかし、それを次々と取りやめたワケですから、研究所から猛烈な抵抗にあいました。研究所に来るな、という連判状まで貰うほどでした。国や地域によって自動車のニーズというのは違います。だったら、“それぞれの国や地域で愛されるクルマを作ろう”というのが、リーマンショック以後のホンダだと考えて頂いて良いと思います。
国沢光宏
Q
伊東さんが号令を掛けて始めた新技術は驚くほど多いです。ハイブリッドなんか3種類! ツインクラッチや小排気量ターボ、電気自動車、新興国向けのディーゼルまであって驚きました。一方、開発部門の人数はトヨタ自動車の半分。なのに4輪も2輪も汎用、さらには飛行機までやって、それに山盛りの新技術。よく回っていると思います。
伊東社長
ウチの技術者がやりたい意欲に充ち満ちているからだと思います。というのは半分冗談で、例えば、「世界同時に複数の車種を立ち上げろ!」と指示したフィットのチームなどは、相当厳しかったんじゃないでしょうか。昨年のジャーナリストミーティングの朝、試乗チェックをしたんですけれど、あまりデキがよくなかったので責任者に「このまま持って帰れ!」って言ったんです。そうしたら猛烈に怒られましてね。周回コースを走って戻ったら、まずみんなに「ごくろうさん」と言って欲しい! それくらい大変だったと…。
国沢光宏
Q
この2年間の進化は普通なら10年分に匹敵すると思います。外から見ていると大躍進です。
その分、開発現場からすれば鬼の社長のように感じるでしょうね。
伊東社長
現在のアコードの基本は固まっていたんですけれど、試作車に試乗して、“これじゃマズイ”と感じ、「このままなら発表会に出ない!」と言ったんです。その後、直噴エンジン開発を大幅に前倒しにして、工場も作り直しました。研究所には“お客さんが大事だ”ということを説得しました。作る側の事情より世の中の流れの方が大切なんです。

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