THE NEXTALK ~次の世界へ~ 本田技研工業 グローバルテレマティクス部 サービス開発室 主任 野川忠文 インタビュー(3/5)
- 筆者: 御堀 直嗣
- カメラマン:佐藤靖彦
そういえば、ホンダに行きたかったんだ・・・
実は、野川忠文は28歳でホンダに入社した、中途採用である。「インターナビをやりたくてホンダに来ました!」という、野川忠文は、インターナビの仕事のどこに惚れたのか?
【野川忠文】大学を卒業するときから、実は、ホンダに行きたいと漠然と思ってはいたのです。F1が中学生のころから好きで、F1というと本田宗一郎さんのことが出てきて、ホンダは世界でも強かった。
ただ、大学の専攻が情報関係のシステム工学だったので、いわゆる機械とかクルマを作るというのでは、たとえホンダに就職できたとしても、自分の学んできたことを活かせるだろうか?という疑問がありました。それで、大学に来ていたホンダからの推薦枠も希望しなかったのです。そして、携帯電話のインフラストラクチャーを作るソフト会社に入り、SEをやっていました。
自分は作ることが好きで、それが世の中へ出ていくということは楽しいと感じていました。通信のインフラストラクチャーがあることで、「つながる」ということが面白い。ネットワークの仕事って面白かったです。
ただ、SEとして一通りの経験をしたので、お客様が直接触ることのできるものに関わりたくなって、転職支援をしてくれる人に「ホンダにインターナビの仕事があるよ」と教えられたのです。それを聞いて、そういえば、かつて自分はホンダに入りたいと思っていたなぁと、思い出しました。
しかし、カーナビゲーションは触ったこともなかったので不安でした。勉強してみると、インターナビでは、通信、サーバー、情報…に関わる仕事ができそうだとわかりました。
最終面接まで来て、それでもカーナビゲーション自体はよくわからないので、ダメ元だと思っていたら、その面接官が、いまの上司の今井武だったのです。「うちで何がやりたいの?」と聞かれ、インターナビはサーバーがあってつながるので、クルマとクルマがつながるサービスをやりたいと答えました。
今井武は、野川忠文が所属するインターナビ事業室の室長である。ホンダが世界に先駆けて実用化した民生用のカーナビゲーション、「エレクトロ・ジャイロケータ」が1981年に発売された以後から、カーナビゲーション一筋の開発に従事してきた人物だ。
道路施設のVICSなどに頼らず交通情報をよりきめ細かく提供するため、「フローティングカーシステム」の導入なども行ってきた当人だけに、クルマとクルマがつながるシステムを作りたいと言う、野川忠文の戦力に今井は期待したのだろう。
【野川忠文】他の職業からの転職で遠回りをしたかもしれません。一方、中途採用で入社したころは「フローティングカーシステム」が導入された後であったなど、ちょうどよい時期にホンダに来られたのではないかとも思います。
もし、大学を卒業してすぐにホンダに入社していたら、やはり大きな会社ですから、インターナビの仕事に就けていなかったかもしれません。いまはさらにIT系の開発になってきていますから、ITの分野で仕事をしてきた経験があることによって、開発メーカーの人とも詰めたやり取りができ、互いに良い関係ができることで、いっそう高い水準に開発をもっていけているのではないかと思います。
いま振り返ると、つながっていたんだなと(笑)
機械出身の私が理解するのに苦労するほど、情報通信の塊となりつつあるナビゲーションシステムの先頭を走るインターナビの開発に、野川忠文のかつての経歴が役立っていることは想像に難くない。
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