【ahead femme×オートックワン】-ahead 1月号-弁天様と江の島と(1/4)
- 筆者:
弁天様と江の島と
べんてん様は、おんなの神様。
美しいけど嫉妬ぶかい、別れさせたり、結んでみたり
男女の仲も気分しだい。
でも憎めないのはなぜだろう。
べんてん様を味方につけて、ハッピーな1年を過ごしたい。
さぁ、べんてん様のいる江の島へ…。
終業のベルが鳴り終わると、にわかに教室はざわめきに包まれはじめる。仲良しのクラスメイトがやってきて、まだ”ウォークマン”と呼ばれていた頃の携帯音楽プレイヤーから、片方のイヤホンを差し出した。
中学校では持込みがNGだったそれを、私たちは肩寄せ合って聴いた。甘くささやくような、それでいてちょっと擦れた声が、メロディに溶けていく。目を閉じると見たことのない海、砂浜、せつなく微笑む美女の物語が、浮かんでは消えた。その声が、私に「江の島」という地名を教えてくれたのを思い出す。
教科書の中で、なぜか源頼朝に惹かれた私は鎌倉に憧れた。
15歳の夏、クラスメイトと連れ立って鎌倉巡りをしたあと、一度乗りたかった江ノ電に揺られ、その窓から初めて江の島を見た。ぷっくりと湾から突き出ていて、緑がこんもりとして、なんだか可愛らしい。けれど、どこか凛とした空気と、奥ゆかしさが混ざり合う不思議なオーラをもつ島だなと、惹きつけられた覚えがある。
もう20年ほど前のことだが、当時はファッション誌などで江の島観光がもてはやされ、私のイメージはすっかり「サーファー、エスカー(江の島エスカー)、しらす丼!」と軽いノリで洗脳されていたから、よけいにそのギャップが心に残ったのかもしれない。
そんな江の島の歴史を紐解くと、もっともっと想像以上に深い。関わりのある人物だけでも、日蓮、空海、源頼朝に北条時政、徳川家康と、ひれ伏したくなる面々が並ぶ。伝えられるところによると、聖徳太子よりも前の時代、欽明天皇の勅命によって島の洞窟に神様が祀られたらしい。
参詣のみならず僧侶の修行の地としても名を馳せ、のちの鎌倉時代には真言宗の僧侶だった文覚が、源頼朝の願いによって弁財天を勧請し、頼朝は鳥居を奉納したという。その後も海の神、水の神、芸道上達を司る神と仰がれ、聖域として保護されてきた。それが、明治初頭の神仏分離の命によって名を改め、現在の江島神社となっているようだ。
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