復帰2年目のホンダが迎えるF1グランプリ2016がいよいよ開幕!「ホンダ」F1デビューからの軌跡を追う(2/2)
- 筆者: 山口 正己
- カメラマン:本田技研工業/STINGER
ホンダF1第ニ期(1983-1992)*エンジンサプライヤー*
第一期で、車体まで製造するコンストラクターとしての参戦の難易度が想像を絶する高さであることを知ったホンダは、第一期当初の予定にスイッチをリセットして、エンジンを供給するエンジンサプライヤーとしてF1の舞台に戻ることにした。そして大成功を収めた。
ちなみに、2016年から復帰したホンダは、マクラーレンをチームに選んだ。マクラーレン・ホンダといえば、赤/白(実は蛍光オレンジと白)のマールボロ・カラーを思い出すだろう。アイルトン・セナと、アラン・プロストが16戦15勝を記録したあのマシン。第二期の絶頂期である。
ただし、マクラーレン・ホンダはホンダF1第二期の中心であったことは間違いないが、最初から強かったわけではない。デビューの1983年は、ホンダが出資した“スピリット”という車体に1500ccターボが搭載され、散々な目に遭っている。
デビューイヤーの最終戦にウィリアムズに搭載されたホンダは、予選6位、決勝5位という成績を残したが、勝利は翌年、舗装路面がはがれる混乱の中で棚ぼたのアメリカGPの1勝のみ。3年目の1985年も、ケケ・ロズベルグ(今年、メルセデスF1チームで活躍中のニコの父親)とナイジェル・マンセルのコンビで4勝、コンストラクターズ・チャンピオンは1986年、F1の中枢となるドライバーズチャンピオンを獲得したのは1987年まで待たなければならなかった。
マクラーレン・ホンダが連戦連勝したのは1988年であり、要するに、デビューから5年間の学習期間が必要だったのだ。
ホンダF1第三期(2000-2008)*エンジンサプライヤー/チーム参戦*
二十一世紀は夢の時代である、と昭和生まれは教えられた。その区切りの年にホンダはF1に復帰した。
しかし、第三期は若干複雑だ。2000年から2005年までは、BARとジョーダンという二つのチームにエンジンを供給し、2006年から2009年までは、ホンダF1レーシングという名前でチームとして参戦したからだ。したがって、2000-2005を第三期、2006-2008を第四期と呼びたくなる。
この第四期には、お馴染みの佐藤琢磨が、2004年と2005年をBARで、2006年からスーパー・アグリで、共にホンダエンジン搭載マシンで戦っている。
日本人では、中嶋悟が1987年に日本人初のフルタイムF1ドライバーとしてデビュー、その後の日本人ドライバーに門戸を開いた。
ちなみに、ホンダは去年からの復帰を“第四期”とは呼ばないことにしているそうだが、もしかすると“ホントは第五期なのだ”と言いたいのかもしれない。
2016年開幕戦は、メルボルンのアルバートパークという名の通り、「公園」で行なわれるオーストラリアGPである。3月18日金曜日に走行スケジュールが始まり、土曜日に予選、日曜日に決勝レースが行なわれる。
シーズン前のテストでは、去年まで圧倒的なスピードを誇っていたメルセデスを押さえ込んで、フェラーリが駿足を見せている。しかし、テストはあくまでテスト。メルセデスは、決勝レース用のデータ収拾に邁進し、圧倒的な走行距離を稼いで安定ぶりを見せた。予選の一発タイムはいつでも出せますよ、と言わんばかりだ。
だが、フェラーリの2016モデルのSF16-Hは、テストを観る限り紛れもなく駿足だ。何せ、テストが行なわれたスペインGPと同じ会場のカタルーニャ・サーキットで、去年のスペインGPの予選より、3秒も速かったのである!!
さて、去年から始まった“第5期(?)”の二年目となる今年のホンダはどんな走りをするのだろうか。
[Text:山口正己]
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