復帰2年目のホンダが迎えるF1グランプリ2016がいよいよ開幕!「ホンダ」F1デビューからの軌跡を追う(1/2)
- 筆者: 山口 正己
- カメラマン:本田技研工業/STINGER
ホンダは実は3勝しかしていない!?
3月18日からいよいよ2016F1グランプリが始まる。興味のない人も多少はドキドキしてほしい。何せ日本は自動車が基幹産業で、モーターレーシングは欧米では普通にクルマと直結するポジションにいるのだから。
新しいシーズンの開幕前は、いつもドキドキする。どうなるかわからない、というのがモーターレーシングの基本的な魅力であり、新シーズンの開幕戦は、その傾向がさらに強まって、まったくどうなるかわからない。
しかし、F1についての基礎知識がないことには楽しめない。ということで今回は、今年復帰2年目を迎える「ホンダ」のF1デビューからこれまでの軌跡を振り返っておきたいと思う。
まず、【ホンダF1】と言っても二つのパターンがあることをご存じだろうか。“チーム参戦”と“エンジン供給”だ。
前者は、F1ならではの「車体を作ったチームだけに参戦が許される」というF1のルールがあり、“チーム参戦”の時に限って“ホンダが優勝”と言える。しかし、後者(エンジン・サプライヤー)は、タイヤや、ホイールと同じパーツのひとつなので、“ホンダが優勝”とか、 “ホンダがワールドチャンピオン”とは言えないのである。
したがって、これまでのホンダは、実は3勝しかしていない。とはいえ、1988年に16戦15勝したのは“マクラーレン・ホンダ”であり、ホンダがチャンピオンエンジンだと言う表現は間違っていない。
というようなことを頭に入れて、52年前の1964年から始まる【第一期】から振り返ってみよう。
ホンダF1第一期(1964-1968)*チーム参戦*
当初、ブラバムにエンジンを供給するはずだったホンダに突然、F1で最高のデザイナーでありロータスの代表であるコリン・チャップマンが、F1史上最高のドライバーの誉れ高いジム・クラークを引き連れて「ホンダのエンジンを使いたい」と本田宗一郎にラブコールを送った。
宗一郎と、その後のF1マネージャーとして現場を統率する通訳担当の中村良夫は、チャップマンの“熱意”に圧され、ブラバムとのジョイントを解消してロータスにエンジンを供給することにした。
しかし、それから3か月後、デビュー直前の1964年1月になって、チャップマンから「ホ ンダエンジンが使えなくなった」という電報が来て、ホンダは独自に車体まで作ってF1GPにデビューせざるをえなくなった。
1968年までの5年間で、ホンダは2勝を記録した。とにかくホンダは初めて参加するF1グランプリに、車体まで自前のコンストラクターとして挑戦を開始した。
前述のように、F1が他のカテゴリーと違うのは、“自分で作った車体でしか参戦できない”というお約束があること。他のカテゴリーを例に挙げると、スーパーフォーミュラではレーシングカーメーカーがシャシーメーカーであるダラーラなどからシャシーを買って、そこにメーカーから支給されるエンジンを搭載して参戦が可能である。これは、アメリカのF1といわれるインディカーも同じ。
ル・マンを中心とするスポーツカーレースも同様である。もちろん、自分で作って参加もできるが、どこかの車体を買ってもチームと認められる。しかし、F1チームは、シャシーを製造する“コンストラクター”だけに参戦する権利がある。
これがF1と他のカテゴリーを分類する最大の違いだが、F1が別格で最も高度なテクノロジーの戦いになっているのはある意味当然の帰結と言えるわけだ。
そうした取り決めがあるF1だから、ホンダは当初、エンジンだけを供給する“エンジンサプライヤー”として、コンストラクターであるブラバム、その後ロータスにエンジンを届けてF1GPに参加する予定だった。
いきなりチームを運営するとなると、車体を作るだけでなく、転戦の手配からなにから全てを自分でやらなければならないから、まずはエンジンサプライヤーとして参戦する事を決めたのだ。
しかし、一方的に伝えられたロータスの都合によって、ホンダはいきなり自製の車体に自製のエンジンを搭載してチャレンジすることになったのである。ホンダが大騒ぎになったことは言うまでもない。
挑戦初年度は、8月のドイツGPから3戦だけ出場したが、各国を転戦し、そのサーキットにサスペンションやエンジンを適合させる“セッティング”が、マシンそのもののポテンシャル以上に重要であることを思い知らされることになった。そんなことさえ、当時のホンダは知らなかったのだ。
ホンダのF1マシンは、複雑な構造をしていて、ギヤを交換するためには、サスペションをバラさなければならなかった。それではせっかくのサスペンションセッティングが台無しになってしまう。
バイクで圧倒的な力を示していたホンダは、エンジンのパワーさえあればF1でそれなりにイケルと踏んでいたが、F1はそんなに甘い世界ではなかったのだった。
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