フィアット グランデプント アバルト 海外試乗レポート(1/3)
- 筆者: 西川 淳
- カメラマン:フィアット・グループ・オートモービルズ・ジャパン
カルロ・アバルトの功績を現代において再現
5、60年代にモータースポーツシーンを沸かせた立役者のひとり、それがカルロ・アバルトだった。600(セイチェント)や500(チンクェチェント)といった、そこら中で見かけるフィアットの大衆車をベースに、高性能エンジンを積んだ彼のコンプリート・チューニング・レーサーは、しばしば大排気量の本格スポーツカーを打ち負かし、数々の伝説を築く。
カルロ・アバルトの星座であるサソリをモチーフにしたエンブレムは、スポーツカーが高嶺の花だった時代に、“手の届く高性能”として、とりわけ市井の人々の喝采を浴びたものだった。その鮮烈な戦いぶりから、今なお熱烈なファンも多い。
70年代以降、フィアット傘下となった後も、フィアットのレーシング部門として、アバルト・テクノロジーの影響力は大きかった。当時のフィアット→ランチアが総力を挙げて戦ったラリー選手権用モデルは、ほとんどアバルトが手がけていた。一連のランチアデルタなどはその際たる例だ。ラリーだけでなく、ランチアのCカー活動なども担っていた。
97年以降、組織としてはアバルトの名前が消えたままだったが、この9月に正式に復活を遂げる。フィアット・オートモービル・グループに属する一法人として、つまりはアルファロメオやランチアと同格のブランド組織として新生アバルトは発進したのだ。ブランドボスは、フィアットグループの若きリーダーのひとり、ルカ・デ・メオ。先日までフィアット乗用系のボスだった人物で、弱冠41歳。彼はアバルトビジネスのトップであると同時に、フィアット商用車からマセラティまでのマーケティング責任者でもある。
新生アバルトの行方を彼の言葉を借りて言うと、「カルロ・アバルトの功績を現代において再現する」、となる。要するに、大衆車のチューニングに始まり、モータースポーツにも積極的に関わって、最終的にはオリジナルモデルを造りたい。その第一歩が、このグランデプント・アバルトであり、その次に控えているのが500アバルトだ。そして、グランデプント・アバルトによるラリー2000参戦や、次期500アバルトによるワンメイクレースなど、モータースポーツ計画も目白押しである。
アバルトが独立した組織をもつブランドであるということは、グランデプント・アバルトをよく観察すればすぐに判るだろう。フィアットのエンブレムが、ない。あるのは、サソリのエンブレムのみ。車名も、ゆえに、グランデプント・アバルトなのだ。
過去のアバルトモデル同様に、このクルマには高性能エンジン、強化された足回りとブレーキ、そしていかにもそれらしい内外装が与えられている。
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