アストンマーティン「DB11」で新時代へ!サーキット試乗でみえた傑作「DB9」を超えた実力とは(4/4)
- 筆者: 嶋田 智之
時代に合ったものを採り入れてもアストンらしさは不変
けれど、個人的に最も嬉しかったのは、新世代のモデルであってもアストンマーティンならではの哲学のようなものが、これまでのモデル達から感じられたのと同じくらい感じられたことだ。
例えば、スタイリング。従来のプロダクション・アストンマーティンとはハッキリと異なるデザインがなされているけれど、それでも一目でアストンであることが判る。アストンのバランス感覚に優れたクーペの黄金比のようなスタイリングであることは不変なのだ。
高貴な雰囲気を漂わせて美しいけれど、決して変に悪目立ちしたりはしないという抑制のあり方も方程式どおりだ。
インテリアも然り。造形が全体的にこれまでより少し柔らかさを帯びた印象となったり、ウッドやレザーなどに新たな手法の装飾が盛り込まれ、絶妙な華やかさが溶け込んでいる感じはする。メーターパネルが従来の様式美とすらいえたアナログ式から12インチのTFTディスプレイに変わり、抜群の視認性を手に入れた代わりに繊細で美しい計器類という視覚的な楽しみは失った。
ダッシュ中央に8インチのTFTディスプレイが配置され、メルセデスのものと同じ使いやすく機能性の高いインフォテインメントシステムを得た代わりに、視覚的にちょっとばかり煩くなった。けれど最良の素材を職人がハンドメイドであつらえる素晴らしく上質な空間という不文律には変わりがなく、シンプルで抑えの効いた限りなくリラックスできる場所であることにも違いはない。
時代とともに必要さを増したものは採り入れても、自分達の世界観まで売り払ったりはしないのだ。
アストンマーティンのセカンドセンチュリーは明るい
それはパフォーマンスの面にも現れている。確かに高性能にはなっているけれど、それはスペックシートの上でひけらかすためのものでもなく、誰かと競争するためのものでもなく、ドライバー自身が心往くまで向き合い、堪能するためのものなのだ。
だから、V12ターボならパワーなどまだまだ上げられるのにそこだけ突出させるのをよしとせず、1台のクルマとしての全体の調和を慎重にとったかのようなテイストに終始している。これこそが、アストンマーティンなのだ。
そして、DB11は確かに新時代の柱となるのに何ひとつ不足のない、素晴らしいモデルに仕上がっている。だからといって、DB9やヴァンキッシュが色褪せたりすることもない。
なぜならアストンは、どのモデルも時間の経過とともに熟成されて旨味が強く感じられてくるような、そうしたクルマ作りをするメーカーだからだ。クルマとオーナーが一緒に心地好く枯れていくことのできる、唯一のスーパースポーツカーブランドといえるかも知れない。
DB11も、間違いなくそうしたグランド・クラシックのような存在になっていくはずだ。これを元にして生まれてくる、新しいヴァンテージやヴァンキッシュなども、もちろん。
アストンマーティンのセカンドセンチュリーは、さらに明るいものにきっとなる。
[Text:嶋田智之]
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